こんにちは! ぼくは友だちいないマンだよ!\(^o^)/ 
ぼっちだよ!\(^o^)/ 
今日はワールドカップに興味がない人、見たことがない人もいる件について考えてみたよ!


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ワールドカップに興味がない人、見たことがない人もいる

すいませんそれは私、友だちいないマンのことです。
今日初めて知りました。ワールドカップが昨日2018年6月14日開幕だということを。

サッカーといえば世界で最も人気のあるスポーツ。
しかし友だちいないマンのように、ワールドカップに興味がない人、見たことがない人、そもそもサッカー自体に関心がない人だっているのです。

世間がワールドカップで盛り上がっているであろう昨今、どうしてこんなことを書くのか。
理由は2つあります。

1.こういう人もいるとあえて言いたい
周りの人がサッカーの話で盛り上がっている。
しかしその裏では、友だちいないマンのように、日々の暮らしの中でサッカーに関心を持つきっかけがないという人だっているのです。
そういう人は、「ああ周りはサッカーの話で盛り上がっているのか。だけど自分はその輪の中に入っていけないや。どうせ自分はぼっちだ」と思っている人だっているのです。

そもそもワールドカップの時だけサッカーの話を始める人がいますが、本当にサッカーファンなんでしょうか・・・?
(そういう人は、「興味ないならこんなクソ記事書くな!」とたぶん怒り始めるのでしょうね・・・。)


2.なぜか日本を応援することを強要する人がいる違和感について書き留めておきたい

さらには突然日本代表が、日本代表が、と突然応援を求めてくる人もいます。
普段友だちいないマンと接触しないような人がなぜか友だちいないマンにまで話しかけてくるのです。
これには参ります。

ひねくれている友だちいないマンは、こうしたある一定の姿勢を他人に強く求める人をみるたび、こう考えてしまうのでした。

大災害が起こるたびに絆という言葉を連呼し、「不謹慎だ!」と大声を出す人が世の中にはいる。
たしかに復興に向けて力を合わせることは大切だ。
だからといって、そう考える自分があたかも正義の代弁者であるかのように振る舞い、他人に何かを強要するのは違うのではないか・・・?
「この人、何の疑いもなく日本代表を応援しようと私に言ってくる。もし70年早く生まれていたら『日本人が一致団結して英米の圧力を跳ね返そう!』と言っていたのではないか?」「時代が時代なら集団のために個人を犠牲にしろと平然と求めてくる人だったのか?」


ちょっと大げさかもしれません。しかし唐突に日本が日本が、と言い始める人を見ると、それが唐突であるがゆえにどうしても違和感を感じざるを得ないのでした。


沈黙の螺旋

沈黙の螺旋とは、「多数派は多数派であることを理由にますます声高になり、少数派は自らが少数派であることを自覚しているがゆえに、多数派からの声高な反発を恐れてますます自分の意見を言わなくなる」という現象です。

何回か前のワールドカップのとき、友だちいないマンが正直にサッカーに関心がないと言うと、それだけで周りの人から引かれた経験があります。
まさに沈黙は金。自分の意見は安易に表明しないほうがよいということを悟りました。
しかし同時に、マイノリティはマイノリティであるがゆえに言ってはいけないことがあることもなんとなく分かってしまったのです。


またワールドカップの時期となりました。ひいきのチームの勝敗で誰もが熱くなります。
それだけサッカーというスポーツは人間の闘争心を刺激するのでしょうね。(だから世界で最も人気なのでしょう)

しかし友だちいないマンは、日本代表の健闘を祈りつつ(同じ国のチームなので負けるよりも勝つほうがいいに決まっている)、あえて「こういう変なやつもいる」という観点から書いてみました。
もし周りがワールドカップの話題で盛り上がっているのについて行けない方がいらっしゃれば、この文章で少しは気楽になっていただければ幸いです。





















しかし本当に友だちいないマンはひねくれていて勝手なことを書くね!
だから友だちいないんだね!! 人生\(^o^)/オワタ!!