こんにちは! このブログの管理人は友だちいないよ!\(^o^)/ 
ぼっちだよ!\(^o^)/ 
今日は渡辺麻友主演のミュージカル「アメリ」を見たというお話をするよ!

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(「アメリ」のパンフレット。管理人撮影)

なぜ「アメリ」を見たのか?


管理人はぼっちです。友だちいない研究所なんていうブログを運営しているくらいですから、コミュ障です。
友だちいない、というか、つい自分のやりたいことを優先するあまり、いらないと思ってしまうのか、とにかく普段づきあいする友だちがいません。

そのぼっちですが、渡辺麻友がミュージカルに出演すると聞き、「これはまさか?」と思って天王洲銀河劇場まで足を運ぶことにしたのです。

渡辺麻友。解説は必要ないでしょう。AKB48の主力メンバーとして広く知られていましたが2017年12月をもってグループを卒業しました。
彼女は王道アイドルとしてストイックな努力が認められる反面、いまいちグループに馴染めていないとでもいうのでしょうか、「メンバーが食事に誘っても来ない」「誰も家を知らない」といった話を耳にすることがよくありました。

まさか彼女は・・・。
ぼっちの気質がある・・・?
その渡辺麻友がアメリを・・・? これは劇場へ行かなくては!!
そう思ったのでした。

アメリあらすじ

映画版は2001年に公開されました。そちらをご覧になっていない方のためにあらすじをご紹介いたします。
神経質な元教師の母親アマンディーヌと、冷淡な元軍医の父親ラファエルを持つアメリはあまり構ってもらえず、両親との身体接触は父親による彼女の心臓検査時だけだった。いつも父親に触れてもらうのを望んでいたが、あまりに稀なことなので、アメリは検査のたびに心臓が高揚するほどだった。

そんなアメリの心音を聞き、心臓に障害があると勘違いした父親は、学校に登校させずアメリの周りから子供たちを遠ざけてしまう。やがてアメリは母親を事故で亡くし、孤独の中で想像力の豊かな、しかし周囲と満足なコミュニケーションがとれない不器用な少女に育っていった。

そのまま成長して22歳となったアメリは実家を出てアパートに住み、モンマルトルにある元サーカス団員経営のカフェで働き始める。彼女はクレーム・ブリュレの表面をスプーンで割る、サン・マルタン運河で石を投げ水切りをする、この瞬間にパリで何人が達したか妄想するなど、ささやかな一人遊びと空想にふける毎日を送っていた。

ある日、自宅でダイアナ妃事故死のニュースを目にしたアメリは、驚いた拍子に持っていた化粧水瓶の蓋を落としてしまい、転がった先のバスルームのタイルの中から小さな箱を発見する。中に入っていた子供の宝物を持ち主に返そうとした彼女は、探偵の真似事をして前の住人を探し、ついに持ち主のブルトドーに辿り着く。箱を返して喜ばれたことで、初めて世界と調和が取れた気がしたアメリは、人を幸せにすることに喜びを見出すようになった。
(引用:ウィキペディアより)

話はこの後もつづき、やがてアメリにも気になる男性が現れました。彼の名前はニノ。
スピード写真ボックスの周りに捨てられて落ちている証明写真を収集するのが趣味という変わり者。その彼にアメリはどう気持ちを伝えていいか分かりません。
果たしてこの想いは・・・?

このように、アメリという作品は多くのフランス映画がそうであるように、「割り切れない人の心」を一癖も二癖もあるタッチで表現しています。
アメリカ軍がソ連軍を蹴散らしたり、自衛隊が怪獣を撃退したり、宇宙人の侵略に対して人類が結束して地球を防衛するようなスペクタルやカタルシスは一切ありません。
あくまでも人の心やコミュニケーションがテーマなのです。

ヒロイン、アメリの好きなことは「クリーム・ブリュレを割ること」。設定ひねくれすぎですね。
渡辺麻友は一体アメリをどう表現したのでしょうか。

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(管理人撮影。アメリが暮らすという設定のモンマルトル)


ぼっち(管理人)なりの感想~主に渡辺麻友を中心に

渡辺麻友はアメリのパンフレットで次のように語ります。
アメリはもう「共感しかない」。自分も昔からコミュニケーション能力は低いし、不器用だし、ひとりでいることを好み、周囲に馴染む難しさや生き辛さを感じていて…9割型似ています(笑)。それをアメリとして自分に憑依させ同期して表現するにはまだまだ試行錯誤中ですが、アメリが周囲の人の温かさに触れ、愛に触れながら世界と調和し幸せを与えられるように変わっていく様を、私も共演者のみなさんと力を合わせながらアメリとしてお客様に幸せな気持ちを届けたい。
ハマり役を引き当てたというのか、このブログの出だしでぼっち(管理人)が感じていたことは、自覚済みだったのですね。
歌唱力は申し分なく、しっかりとした歌声で丁寧に音程を取りながら音楽を表現していたと思います。初舞台にもかかわらず違和感がないのは、きっとAKB時代の経験が生きているからなのでしょう。

おそらくですが、彼女は作品を自分の個性というドレッシングで味付けせず、作品そのものの素晴らしさをストレートに伝えてくるタイプの表現者では・・・。そう思いました。

もちろんミュージカル初出演ということもあり、本人としては反省点が気になるのかもしれません。事実、「悔しい」という言葉を交えての本人のツイートを見つけてしまいました。
が、今の姿に満足すればそこで成長が止まってしまいます。
自分の反省すべき点を振り返るのは、舞台人としてきわめて健全な心がけだと思います。

もちろん粗というものは探そうと思えば探せるもの。「あれが悪いこれが悪い」、批判したいがために批判する人がそう言うのは簡単です。努力もいらず、1円もかかりません。他方、舞台に立てるのは、努力を重ねた(重ね続ける)人だけです。この冷厳な事実は忘れてはならないでしょう。

人前でヴァイオリンを演奏すると右手がブルブル震えて音がかすれがちになるぼっち(管理人)としては、むしろ初めての出演でよくぞここまでという気がしています。

人は経験や時間でどんどん変わっていくものです。
これからどんどん場数を踏んでいって、彼女なりの歌声、「渡辺麻友トーン」を磨いていってほしいと思いました。

おわりに

自ら「コミュニケーション能力が低い」と語る渡辺麻友ですが、その彼女自身も含めて、様々な「人のあり方」を肯定する、温かいまなざしが(映画版であれ、ミュージカル版であれ)作品全体からうかがわれます。

先にも述べましたが「アメリ」は、2時間のスペクタル、ストレス解消のための作品ではありません。
ミュージカル版で出てくる音楽は、キャッチーな主題が複数回登場し、お客さんを興奮させる、というものでもありません。
興奮や安易な感動とは距離を置いた、折に触れて見返すような作品であり、見るたびに登場人物の見え方が変わる・・・そんな作品だと思います。この味わいの複雑さ。なんだかフランス文学の香りがしませんか。

なお、登場人物が多く複雑なので、映画版を先に見てからミュージカル版を見ることをおすすめします。ミュージカル版を見る方はすでに映画版を見たよ、という方がほとんどだと思いますが・・・。

映画版を見る時間がない、という方は、ミュージカル冒頭に登場する「ゼノンのパラドックス」という言葉に注意してください。本作品の重要キーワードです。
世界史の授業で学んだと思いますが、ゼノンのパラドックスは「アキレスは亀に追いつけない」というロジック(?)により広く知られています。

俊足のアキレスが先を行く亀に追いつこうと半分まで距離を縮めたとき、まだその半分の距離が残っている。更に半分まで距離を縮めてもなおその半分の距離が残っている。すなわちアキレスがどこまで走っても「半分」が残るため、彼は永遠に亀に追いつくことができない、という論法です(箱根駅伝などを見ればお分かりのように、そんなことはありえませんが)。

この話が「アメリ」にどう生かされているのか。
十人十色の人間模様がどう表現されているのか。

ぜひ劇場でご覧いただければと思います。

長くなりましたが、ここまでお読み頂きありがとうございました。これから劇場へ足を運ばれる方は、ぼっち(管理人)がそうであったように楽しいひとときが過ごせますように。

蛇足ながら、ミュージカル「アメリ」は東京の天王洲銀河劇場では2018年6月3日まで、その後大阪の森ノ宮ピロティホールにて6月7日~6月10日まで上演されます。
詳しくは公式サイトをご参照ください。


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(せっかくなので撮影した写真をここにも上げておきます)


付記:ミュージカルの元となった映画版アメリがhuluで配信されていました。
2週間なら無料でトライできるので、お時間のある方はどうぞ。