最近の記事で、サラリーマンはやりたいことがない人が多いということを書きました。

そのことについて自分なりの仮説です。

【仮説】
「社会は気づかないところで分断されている」

【説明】
社会の分断といっても前回のアメリカ大統領選挙とかイギリスのEU離脱などについて言っているわけではありません。「私たちの人間関係は、自分の環境で知らぬ間に固定されているのでは」「そのことが私たちの思考・行動を固定しているのでは」というのがぼっち(筆者)の仮説です。以下に図示します。

人間A群・・・やりたいことがある(見つけた)人、それを仕事にできている人(少数)
(例)
プロスポーツ選手、プロの音楽家(の卵)
小説家や漫画家などクリエイター(の卵)
政治家になろうと努力している人
起業しようと努力している人
実際に会社を経営している人

-------------------------------交わらない線-----------------------------------

人間B群・・・とくにやりたいことがない人、まだ見つけてない人(多数)
(例)
普通のサラリーマン
普通の学生
つまり私たち

この図で何が言いたいかというと、私たちは普通B群に属しています。
でもB群に属していると周りは自分と同じようにB群の人たちばかり。
A群の人に出会うことはめったにありませんし、知り合いになることもありません。
したがって、自分の周りにはやりたいことがなく、ダラダラ働いてしまったり、日々の忙しさに追われて真に自分が向き合いたいこととは何かを考え続けることを辞めてしまったりする人が多いわけですから、それが当たり前になってしまい、ついには自分も「やりたいことがない」という状態になるのでは?

他方、A群の人は志を同じくする人たちに囲まれて同じ方向を目指していますから、B群の人と付き合う時間的余裕もない、というのが実情ではないでしょうか。
会社を経営していた人に話を聞いたことがあるのですが、「サラリーマンから独立して社長になったら、付き合う人間関係が全部自分と同じような社長さんだらけになった」と語っていました。

ぼっちは上に「交わらない線」と書きました。
そう、AとBの人はめったに接触することがないので、
「Aの人はAの思考をするのが当たり前」
「Bの人はBの思考をするのが当たり前」
になり、同じ社会に暮らしていても行動パターンや考え方の面で大きな開きができてしまうのです。

面白いことに、SNSなどの普及で人の考え方を知るハードルは一気に下がりました。
つまり行動力、思考力の違いが、視覚化されてしまう時代になったということです。
透明性とは良く言ったものです。ありとあらゆる事柄が見えてしまい、ネット上に半永久的に保存される社会になってしまいました。

とりとめもない文章でしたが「仮説」として公開します。