NGT48の2ndシングル「世界はどこまで青空なのか?」のMVおよび曲について自分なりに触れておきたいことがあったのでこちらでまとめさせて頂きます。

 

それは、この作品の(きっと)テーマである、「ない」ものを願うことについて、です。

 

「何か」へ手を差し伸べること

私は大学時代、友だちはいませんでした。今も知り合いはほぼゼロで、休みの日には誰とも喋りません。

だからこそ、自分の時間を100%自分のために使うことができていて、それはそれで結構なのですが、「大学でぼっちになりました。友だちがいません」「社会人○年目ですが、まったく知り合いが増えません。結婚できるのか不安です」のような悩みを持つ方の気持ちもよく分かります。


こうした方たちは、「友だちがいない」という現状から「友だちがいる、いてほしい」という、未だ実現していない「あるべき姿」を願っているわけです。


そのような「何か」を願うことは、いざ何かを作る立場になってみると、創作をするうえでのエネルギー源となると考えて間違いないでしょう。私はクラシック音楽を普段聴いているので、このジャンルから例を出すならばブラームスの晩秋を思わせるような渋みのある音楽は、裏を返せば春への憧れを滲ませた作風だとも言えるわけです。


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注目ポイント

「世界はどこまで青空なのか?」のMVを見てみると、台詞が所々で説明的になっているところはありますが、随所に注目すべきポイントがあることに気づくのではないでしょうか。

まず、MVの2分めごろに出てくる「見なよ、この曇り空。日本海沿いから見る空っていっつもこの色なんだよね」という台詞です。

 

実際、新潟県は日照時間が短いことが統計でも伺われます。「都道府県格付研究所」さんからの引用になりますが、こちらによると日照時間は全国で40位。


これはなにも新潟県の方を見下したいがためにこういう数値を持ち出したのではありません。その逆です。新潟県の日照時間が短いという、一般的には否定的に見られがちな特徴を逆手に取ることによって作品の持ち味として活かしているというのがわたしの考えです。

 

傍証として、MVで背景として登場する空は大抵が曇り空だったり夜空だったりすることを挙げておきます。また、映像の色調が全体的に暗めなのも、差し色として各場面で使われている赤との対比のために意識的にそのように編集しているものと思われます。

 

MVに登場する荻野由佳はこう呟きます。「ほんとの青空って、どんな色なんだろう? どこまで行けば青空が見えるんだろう?」そう、これが本作品のテーマであろう、「『ない』ものに手を伸ばす」につながっていくのです。

 

歌詞に頻出する表現法

「世界はどこまで青空なのか?」の歌詞に注目してみたいと思います。

歌詞には、「何々であってほしい」という願望が多く盛り込まれていることがお分かりでしょう。「晴れていて欲しい 澄み切っていてほしい」。「微笑んでほしい 泣かないでほしい」。私達が何かを願う時、それは現実が必ずしもそうではないから(または、現実がそうであってもその状態が将来的に続くか不安だから)ではないでしょうか。


例えば「時間があれば」「お金があれば」という気持ちは、時間やお金が余っていれば持ちづらい感情のはずです。つまりこの作品は語り手である「僕」が願っている未来がいつか現実のものとなって欲しいという願望を歌っているのです。

 

これは新潟県の日照時間の短さということとも当然密接に結びつくわけで、曇り空の下で生きることは、裏を返せばどこまでも広がっていく青空を願うこととイコールになるわけです。

 

「世界はどこまで青空なのか?」は、「だからこそ私達は青い空を願う」「僕達は叫び続けよう 争いのない世界へ」という、願いを歌いきった、わずか4分程度の曲でありながらスケールの大きな作品であることがお分かり頂けたでしょうか。

 

NGT48のメンバーの皆さんには、ぜひとも胸を張ってこの作品を歌い続けて頂きたいと思います。MVに見られるような曇り空の下に広がる地域から生まれる音、いわば「新潟トーン」は、あなた達だけが唯一無二、自らのものとして表現できるのですから。

 

 

付記:この作品は、さらに言うならば、芽が出ない状況(曇り空)でも、普通の人生を犠牲にするリスクを背負ってまで人気アイドルになる日(青空が広がる日)を望んで地道に研鑽を重ねるアイドルの姿に重ねているのかもしれないですね。MVでフィーチャーされている荻野由佳さんの経歴がまさにそうです。


MV NGT48「世界はどこまで青空なのか?」