ウェブと広告というのは相性がいいのか、それとも人が集まるところには必ず広告が貼り出されるのかは謎ですが、インターネット黎明期から今現在に至るまでウェブブラウジングと広告は切っても切り離せない関係でした。ウェブサイトを開けば広告が表示される、そのパターンは昔からずっとそうです。そして、広告の鬱陶しさも昔から同じです。
なぜ広告が鬱陶しいのか。理由は簡単で見たくもないものを見せられるからです。TVを録画するときにCMをカットする機能が実装されているのもそれが理由でしょう。そして最近では広告が表示され、閉じようとしても閉じるボタンがどこにあるのか分からないようなものもあります。たとえ閉じるボタンがあったとしても、実際は閉じるボタンに偽装した別の機能を実行するためのボタンだったりします。これはさすがに悪質だと思いました。それが天気予報のように割とアクセスしがちなサイトで表示されるのですから大変始末が悪いです。
広告を出す側からすれば、広告を見てもらわなければ意味がありません。だから画面の目立つところに広告を置き、場合によっては画面いっぱいに表示し、動画を再生し、閉じるためのボタンを小さくする。広告を見ることを拒否する人間に対して、なんとかして広告を見せようとするわけです。
ここには広告を出す側と見る側との間に、かなり大きな認識の違いがあります。広告を出す側にとっては「情報を届けている」のかもしれませんが、こちらからすれば「今から天気予報を見たい」「記事を読みたい」「検索結果を確認したい」というだけなのです。そこに突然、こちらが頼んでもいない情報を割り込ませられる。鬱陶しいと感じるのは当然でしょう。
しかも昔のウェブ広告と現在の広告では、鬱陶しさの質が変わってきたように思います。昔はページの上や左右にバナー広告が表示されている程度でした。もちろん邪魔ではありましたが、無視しようと思えば無視できました。ところが現在は、画面中央に広告が出てきたり、スクロールすると広告が追いかけてきたり、動画が勝手に再生されたりします。広告が「そこにある」のではなく、「こちらの操作に介入してくる」のです。
特に困るのが、広告を閉じるための操作まで一種のゲームになっていることです。「×」があるから押したら広告のリンクが開いた。あるいは、ようやく閉じるボタンを見つけたと思ったら、非常に小さくて押しにくい。これは広告を見るかどうか以前の問題です。ウェブサイトを利用するための操作を妨害されているのですから、利用者としては不快にならざるを得ません。
もちろん、ウェブサイトを運営するにもお金がかかります。無料で記事や情報を提供しているサイトが広告によって収益を得ること自体は、別に悪いことではありません。むしろ広告収入によって無料で利用できるサービスが成立している以上、広告にはそれなりの合理性があります。問題は、その合理性が利用者の利便性をどこまで犠牲にしてよいのかということです。
広告が一枚表示されるだけなら、私はそれほど気にしません。画面の端に静かに表示されていて、必要なら無視できるのであれば、それで十分です。ところが「広告を見せるために利用者の操作を邪魔する」というところまで行くと、話が変わります。そして皮肉なのは、広告主にとっても必ずしも得策とは限らないことです。あまりにも鬱陶しい広告を見せられれば、「この広告の商品は絶対に買わない」と思われるかもしれません。広告を表示することには成功しても、その広告によって企業やサービスそのものへの印象が悪くなる可能性があります。
ウェブ広告には、広告を表示する側と、それを見る側の双方が納得できる落としどころが必要なのではないでしょうか。広告を見ることを完全に拒否するのではなく、「広告が存在することは分かっている。しかし、こちらの操作を邪魔するところまではやめてほしい」というのが、利用者としての率直なところです。ウェブブラウジングというのは、本来はこちらが見たい情報を自分で選び、クリックし、読み、次のページへ進む行為です。その主導権まで広告に握られてしまうと、もはや「広告が鬱陶しい」というより、「ウェブサイトを使わせてもらっているのに、広告を見ることまで強制されている」という感覚になってしまいます。
インターネットが登場してから数十年。ウェブ広告もずいぶん進化しました。しかし、広告を表示する技術ばかりが進化して、広告を見る人間の気持ちは置き去りになっていないでしょうか。広告を消すための「×」を探すことに時間を使わされるくらいなら、私はその時間で本来読みたかった記事を読んでいたいのです。といってもBrave(というブラウザ)は強力な広告ブロッカーが実装されているので、これを使えば一発で問題解決ですが。
ここには広告を出す側と見る側との間に、かなり大きな認識の違いがあります。広告を出す側にとっては「情報を届けている」のかもしれませんが、こちらからすれば「今から天気予報を見たい」「記事を読みたい」「検索結果を確認したい」というだけなのです。そこに突然、こちらが頼んでもいない情報を割り込ませられる。鬱陶しいと感じるのは当然でしょう。
しかも昔のウェブ広告と現在の広告では、鬱陶しさの質が変わってきたように思います。昔はページの上や左右にバナー広告が表示されている程度でした。もちろん邪魔ではありましたが、無視しようと思えば無視できました。ところが現在は、画面中央に広告が出てきたり、スクロールすると広告が追いかけてきたり、動画が勝手に再生されたりします。広告が「そこにある」のではなく、「こちらの操作に介入してくる」のです。
特に困るのが、広告を閉じるための操作まで一種のゲームになっていることです。「×」があるから押したら広告のリンクが開いた。あるいは、ようやく閉じるボタンを見つけたと思ったら、非常に小さくて押しにくい。これは広告を見るかどうか以前の問題です。ウェブサイトを利用するための操作を妨害されているのですから、利用者としては不快にならざるを得ません。
もちろん、ウェブサイトを運営するにもお金がかかります。無料で記事や情報を提供しているサイトが広告によって収益を得ること自体は、別に悪いことではありません。むしろ広告収入によって無料で利用できるサービスが成立している以上、広告にはそれなりの合理性があります。問題は、その合理性が利用者の利便性をどこまで犠牲にしてよいのかということです。
広告が一枚表示されるだけなら、私はそれほど気にしません。画面の端に静かに表示されていて、必要なら無視できるのであれば、それで十分です。ところが「広告を見せるために利用者の操作を邪魔する」というところまで行くと、話が変わります。そして皮肉なのは、広告主にとっても必ずしも得策とは限らないことです。あまりにも鬱陶しい広告を見せられれば、「この広告の商品は絶対に買わない」と思われるかもしれません。広告を表示することには成功しても、その広告によって企業やサービスそのものへの印象が悪くなる可能性があります。
ウェブ広告には、広告を表示する側と、それを見る側の双方が納得できる落としどころが必要なのではないでしょうか。広告を見ることを完全に拒否するのではなく、「広告が存在することは分かっている。しかし、こちらの操作を邪魔するところまではやめてほしい」というのが、利用者としての率直なところです。ウェブブラウジングというのは、本来はこちらが見たい情報を自分で選び、クリックし、読み、次のページへ進む行為です。その主導権まで広告に握られてしまうと、もはや「広告が鬱陶しい」というより、「ウェブサイトを使わせてもらっているのに、広告を見ることまで強制されている」という感覚になってしまいます。
インターネットが登場してから数十年。ウェブ広告もずいぶん進化しました。しかし、広告を表示する技術ばかりが進化して、広告を見る人間の気持ちは置き去りになっていないでしょうか。広告を消すための「×」を探すことに時間を使わされるくらいなら、私はその時間で本来読みたかった記事を読んでいたいのです。といってもBrave(というブラウザ)は強力な広告ブロッカーが実装されているので、これを使えば一発で問題解決ですが。
コメント