私は人混みが苦手です。別に、人がいるだけで怒り出すほどではありません。駅に人がいる、スーパーに人がいる、美術館に人がいる、などといったこと自体は当たり前のことです。しかし、人が多くなってくると、だんだんイライラしてきます。そして家に帰るころには、たいして何もしていないのに妙に疲れています。考えてみると、私は「人と話すこと」だけが苦手なのではありません。人がたくさんいる場所そのものが疲れるのです。たとえば人混みを歩いていると、前から人が来ます。横からも来ます。突然立ち止まる人もいます。スマートフォンを見ながら歩いている人もいます。こちらは普通に歩いているだけなのに、ぶつからないように右へ行ったり左へ行ったり、速度を落としたり、追い越したりしなければなりません。

つまり、人混みでは「歩く」という単純な行為に、余計な仕事が大量についてきます。この人は右へ行くだろうか。いや、左かもしれない。ではこちらが少し避けよう。と思ったら別の人が来たので、また避ける。私は一体何をしているのでしょうか。目的地へ移動しているだけなのに、いつの間にか「人間回避ゲーム」をやっています。新宿とか渋谷とかの雑踏は本当に人間会回避ゲームでした。本当に苦痛でした。人に殺意を覚えるほどでした。

しかも私は、一人でいることがそれほど苦痛ではありません。むしろ一人でいるほうが楽です。一人で昼食を食べ、一人で走り、一人で本を読み、一人で美術館へ行く、といった生活なら、それほど消耗しません。だから「陰キャだから人混みが嫌いなのだろうか」と考えてみました。

しかし、「陰キャ」といってもいろいろです。人付き合いは苦手だけれど人混みは平気な人もいますし、友達と一緒なら人混みでも楽しいという人もいます。逆に、知らない人が大量にいる場所だけが苦手な人もいます。つまり、「人が嫌い」と「人混みが嫌い」は、必ずしも同じではありません。

私の場合は、人間そのものが嫌いというより、「他人によって自分の行動を頻繁に修正させられること」が苦手なのかもしれません。静かな場所なら、自分の好きな速度で歩けます。好きなところで立ち止まれます。誰かを避ける必要もありません。ところが人混みでは、他人の動きを常に予測しなければなりません。自分のペースで行動できないのです。これは意外と大きな違いだと思います。

たとえば猫が一匹いる部屋なら、「猫がいるにゃー」と眺めていれば済みます。しかし猫が100匹いて、しかも全員が好き勝手に歩き回っていたらどうでしょう。右から猫、左から猫、前の猫が突然止まる、後ろから別の猫が来る。こちらもぶつからないように避け続けなければなりません。

考えてみれば、私が快適なのは「刺激がない生活」ではありません。ヴァイオリンの練習をしたり美術館に行ったりします。でもそれらの刺激は自分で選べます。

自分で選んだ美術館なら楽しいですが、絵を見るために人の列に並び続けるのは疲れるわけですね。そう考えると、私が求めているのは「無人の世界」なのではなく、「自分のペースを守れる世界」なのだと思います。

人混みが苦手なのは、単に陰キャだからなのかもしれません。しかし、もう少し正確に言えば、私は他人との距離や動きを常に調整しながら生きることに、大きなコストを感じるタイプなのでしょう。そう考えると、東京のような人の多い場所から岡山へ戻ってきて、静かなところで一人で暮らすことが楽になったのも、それほど不思議ではありません。人間社会では、人と関わることが重要だと言われます。しかし、全員が同じ量の人間関係を必要としているわけではありません。

私はたぶん、人間関係を増やすより、人間との距離を適切に保ったほうが元気になるタイプです。そして今日も、イオンモールで人混みを避けながら、「人間が多すぎるにゃー。猫くらいの人口密度でいいにゃー」と思うのでした。