サン=サーンスの『動物の謝肉祭』という曲があります。「ライオン」「めんどりとおんどり」「かめ」「ぞう」「カンガルー」「水族館」「白鳥」「化石」など、動物を題材にした小曲が次々と登場する作品です。そのため、現代ではすっかり「子どもに聴かせるクラシック」の定番になっています。クラシック音楽にあまり興味のない子どもでも、「これはライオンだよ」「これはカンガルーだよ」と説明されれば、なんとなく聴けそうです。ところが、私は以前から少し不思議に思っていました。

『動物の謝肉祭』を聴いて、「クラシックって面白い!」「音楽家になりたい!」と思った子どもの話を、あまり聞かないのです。いや、ゼロです。そんな人いるのでしょうか。都市伝説ではないでしょうか。もちろん、実際にはそういう人もいるのでしょう。しかし、「子ども向けクラシックの定番」と言われるわりには、その後のクラシック人生につながったという話があまり表に出てこないのです。

なぜなのでしょう。たぶん、「分かりやすい」と「夢中になる」は別物だからではないでしょうか。『動物の謝肉祭』は、確かに分かりやすい音楽です。「これはライオンです」「これはカンガルーです」「これは白鳥です」と説明できます。

しかし、そこで「なるほど、ライオンだ」と分かってしまうと、それで終わってしまう可能性があります。学校などで聴かせる場合も、「何の動物を表しているでしょう?」というクイズのようになりがちです。ライオンが分かった。カンガルーも分かった。魚もチンアナゴもよく分かりました。はい、授業終了です。これでは「もう一度聴きたい」となるのでしょうか。たぶん違うでしょう。子どもはアホだから多分すぐ忘れます。

クラシック音楽に夢中になるきっかけというのは、むしろ「なんだこれは?」という経験だったりするのではないでしょうか。初めてベートーヴェンの交響曲第5番を聴いて、「ジャジャジャジャーン!」に衝撃を受ける。チャイコフスキーの大音響に圧倒される。ストラヴィンスキーの変なリズムに驚く。プロコフィエフを聴いて「なんだかトムとジェリーの音楽みたいだ」と思う。そういう「分からないけれど気になる」という経験のほうが、その後につながることがあります。

しかも『動物の謝肉祭』は、実はかなり大人向けの音楽だと思います。「かめ」ではオッフェンバックの『天国と地獄』をものすごく遅くしてみたり、「象」では他の作曲家の音楽を茶化したり、「化石」ではさまざまな旋律を引用したりしています。「ピアニスト」なんて、ピアノ練習曲をわざと滑稽に扱っている。子どもが聴けば「動物の音楽」ですが、大人の音楽好きが聴けば「おい、何をパロディにしているんだ」とニヤニヤできる音楽なのです。

つまり、
子ども「ライオンだ!」
大人「お前、それベートーヴェンを茶化してるだろ(笑)」
という二重構造になっています。

このため、『動物の謝肉祭』は「子どもをクラシック好きにするための音楽」というより、「クラシック音楽に初めて触れる人でも入りやすい音楽」と考えたほうがいいのかもしれません。そもそも子どもにクラシック音楽を聴かせるとき、「子ども向けだから分かりやすいものを」という発想自体が正しいのかどうかも、少し考えてみる必要があります。子どもだって、よく分からないものにハマることがあります。むしろ、よく分からないから気になることもあります。これは何だろう、その疑問から始まって、何度も聴いているうちに少しずつ分かってくるわけですね。クラシック音楽との出会いとしては、案外そちらのほうが面白いのかもしれません。

自分も子どものころに『動物の謝肉祭』を聴いて音楽家を目指したわけではありません。今になってヴァイオリンを弾きながら、サン=サーンスの「白鳥」よりプロコフィエフの変な音楽のほうが気になってしまう(いややっぱり「白鳥」のほうがいいです)。結局、人間というものは「分かりやすいもの」より、「なんだかよく分からないけれど気になるもの」に引き寄せられるのかもしれません。

ねこもそうです。なぜぺったんこになって寝ているのか分かりません。でも気になるので気がつけば、また猫を見に行きます。クラシック音楽も、案外それくらいでいいのではないでしょうか。