個人で契約すると毎月月額2,255円(税込)かかるナクソス・ミュージック・ライブラリーも、自治体の図書館とか通学先の学校が契約していたりすることがあります。そうなると無料でナクソス・ミュージック・ライブラリーを使うことができるので、大量のCD音源(を圧縮したもの)を聴くことができるようになります。音質はCDそのものよりも若干落ちてしまいますがその差に気づくことはほとんどないでしょう。
私も図書館経由でナクソス・ミュージック・ライブラリーを使っていますが、時折ガクッとなるときがあります。それは、「アタッカ」が登場する場面です。アタッカは切れ目なくという意味になりますので、例えば第3楽章と第4楽章の間にアタッカという指示があった場合、そこに音の空白が生じてはいけません。たとえばベートーヴェンの『運命』の第3楽章から第4楽章への移行がいちばん有名な例だと思います。
ところがナクソス・ミュージック・ライブラリーはCDのトラックとトラックの間に必ず空白が生じるという仕様になっています。
現在のシステムの仕様では、一つのトラックの再生が終了し次のトラックに移るまで間に数秒間の無音時間が生じており、次の楽章(トラック)に途切れなくつながる楽曲を再生した場合に支障を来しております。
大変恐縮ながら、現状は設定変更等により本件を回避いただく手段がございません(改善には海外本社側によるシステム改修が必要となります)。現状におきましては本件をご理解の上でご利用賜りますよう、お願い申し上げます。
公式サイトでもこのように説明がなされています。ということはベートーヴェンの『運命』を聴くたびに必ず第3楽章と第4楽章の間でガクッとなるということです。この問題が困るのは、単に「数秒の無音が入る」というだけではありません。クラシック音楽の場合、楽章と楽章の間の時間そのものが、作曲家の意図した音楽の一部になっていることがあるからです。
すべての楽章間を完全につなげなければならないわけではありません。楽章の終わりでいったん音楽が静まり、聴衆が拍手をしたり、指揮者が次の楽章に向けて構えたりすることも含めて、演奏会の時間が流れています。ところが「アタッカ」は話が違います。作曲家が「ここに余計な間を入れる必要はありません」とわざわざ指定しているわけです。そこにシステムの都合で数秒間の沈黙を挿入されると、音楽の流れが物理的に切断されてしまいます。
ベートーヴェンの『運命』などは、その影響が特に分かりやすいでしょう。第3楽章の終わりで音楽が消えたと思った瞬間、低弦の音が残り、そこから第4楽章へ雪崩れ込んでいく。この「いつの間にか次の楽章に突入していた」という感覚が重要なのです。
ところがナクソス・ミュージック・ライブラリーでは、
「・・・」
「はい、ここでトラック終了です」
「・・・」
「それでは第4楽章をどうぞ」
となってしまいます。ちょっと間抜けです。
しかも厄介なのは、これが一度だけならともかく、『運命』を聴くたびに同じ場所で発生することです。何度聴いても、ベートーヴェンではなくナクソスのトラック編集担当者によって一度現実世界へ引き戻されます。これはクラシック音楽をストリーミングで聴く場合の、ちょっとした皮肉でもあります。音源そのものは膨大です。古今東西の交響曲、協奏曲、室内楽、オペラなどを、図書館の利用者なら追加料金なしで聴ける。CDを何百枚、何千枚と買い集めなくてもいい。これはものすごく便利です。しかし、便利になればなるほど、「CDなら普通にできていたこと」が気になることがあります。
CDでは、演奏によっては楽章間のつながりをそのまま収録できます。普通、CDなら『運命』の例の箇所には空白がなく、ただちに次の楽章へ進みます。ところがストリーミングでは、データを効率よく管理するために楽章ごとにトラックが分かれ、その境界にシステム上の無音が発生する。音源そのものが悪いわけではなく、配信という仕組みの側に小さな段差があるわけです。そして、この小さな段差が音楽を聴いている人間には意外と大きく感じられます。
結局、ナクソス・ミュージック・ライブラリーは「ものすごく便利だけれど、たまにものすごく惜しい」という評価になってしまいます。無料で膨大なクラシック音楽を聴けるという恩恵を考えれば、数秒の無音くらい我慢しろ、と言われればその通りなのかもしれません。
すべての楽章間を完全につなげなければならないわけではありません。楽章の終わりでいったん音楽が静まり、聴衆が拍手をしたり、指揮者が次の楽章に向けて構えたりすることも含めて、演奏会の時間が流れています。ところが「アタッカ」は話が違います。作曲家が「ここに余計な間を入れる必要はありません」とわざわざ指定しているわけです。そこにシステムの都合で数秒間の沈黙を挿入されると、音楽の流れが物理的に切断されてしまいます。
ベートーヴェンの『運命』などは、その影響が特に分かりやすいでしょう。第3楽章の終わりで音楽が消えたと思った瞬間、低弦の音が残り、そこから第4楽章へ雪崩れ込んでいく。この「いつの間にか次の楽章に突入していた」という感覚が重要なのです。
ところがナクソス・ミュージック・ライブラリーでは、
「・・・」
「はい、ここでトラック終了です」
「・・・」
「それでは第4楽章をどうぞ」
となってしまいます。ちょっと間抜けです。
しかも厄介なのは、これが一度だけならともかく、『運命』を聴くたびに同じ場所で発生することです。何度聴いても、ベートーヴェンではなくナクソスのトラック編集担当者によって一度現実世界へ引き戻されます。これはクラシック音楽をストリーミングで聴く場合の、ちょっとした皮肉でもあります。音源そのものは膨大です。古今東西の交響曲、協奏曲、室内楽、オペラなどを、図書館の利用者なら追加料金なしで聴ける。CDを何百枚、何千枚と買い集めなくてもいい。これはものすごく便利です。しかし、便利になればなるほど、「CDなら普通にできていたこと」が気になることがあります。
CDでは、演奏によっては楽章間のつながりをそのまま収録できます。普通、CDなら『運命』の例の箇所には空白がなく、ただちに次の楽章へ進みます。ところがストリーミングでは、データを効率よく管理するために楽章ごとにトラックが分かれ、その境界にシステム上の無音が発生する。音源そのものが悪いわけではなく、配信という仕組みの側に小さな段差があるわけです。そして、この小さな段差が音楽を聴いている人間には意外と大きく感じられます。
結局、ナクソス・ミュージック・ライブラリーは「ものすごく便利だけれど、たまにものすごく惜しい」という評価になってしまいます。無料で膨大なクラシック音楽を聴けるという恩恵を考えれば、数秒の無音くらい我慢しろ、と言われればその通りなのかもしれません。
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