辻邦生は12枚の肖像画と12枚の風景画をもとに24本の短編小説を書き残しています。それが『風の琴:二十四の絵の物語』であり、独特のひんやりした空気が漂う文体とともに、それぞれの登場人物の「弱さ」に着目した物語となっています。

まず着眼点が面白いです。人間らしさは弱いところに現れる、それが面白いのだという発想をもとに、一見立派な人物であっても秘められた闇があり、物語がそこから始まるというもの。その物語というのは、実際の肖像画と風景画に込められた画家の意図や成立のエピソードとは無関係に辻邦生自身が想像を張り巡らせて創作しているというもの。一つ一つの物語は短く、5分程度で読み切ることができます。

読んでいて面白いのは、辻邦生が「人間は弱いから面白い」と言っているようでいて、その弱さを決して大げさに暴こうとはしないところです。登場人物たちは、悪人だから破滅するのではありません。むしろ、それなりに誠実で、立派で、人生をきちんと生きようとしています。しかし、その人の内部には、本人にもどうすることのできない小さな欲望や嫉妬、孤独、執着、恐れが横たわっています。そして、そのほんの小さなひび割れから、人生の景色が変わってしまうのです。

ここには辻邦生文学のかなり重要な部分があるように思います。人間というものを、善人と悪人に分けて考えない。人間には誰にでも、自分では制御できない何かがある。その「何か」を本人の性格の欠陥として片付けるのではなく、一つの美しい物語にしてしまうのです。

しかも、その物語が絵画から始まるというのが面白いところです。普通なら、肖像画を見れば「この人物はどんな人生を送ったのだろう」と考えるでしょう。しかし辻邦生は、そこからさらに一歩進んで、「もしこの人物に、誰にも知られていない秘密があったとしたら」と考えていたかのようです。つまり絵に描かれているものではなく、絵には描かれていないものを小説にするわけです。

そのため、読者は画家の意図を知る必要がありません。むしろ知らないほうがいいのかもしれません。これは絵画の解説ではなく、絵画を見た人間の想像力によって生まれた別の世界だからです。

そして、この作品を読んでいると、「人間とは何と面倒くさい生き物なのだろう」とも思います。本人は本人なりに幸福になろうとしているのに、過去の記憶や他人への感情や、自分自身の小さな見栄などに振り回される。もっと単純に生きればいいのに、そうはいきません。そういうところに辻邦生は人間の面白さを見つけています。

ただ、私にはその人間の弱さを眺めながら、少しばかり冷めた気持ちになるところもあります。人間はどうしてこんなにいろいろ考えてしまうのだろう、と。猫などは、もっと簡単です。眠ければ寝ます。腹が減れば食べます。嫌なものからは逃げるし、気に入った場所があれば、そこでぺったんこになるわけです(いいにゃー)。少なくとも「自分の人生には本当は別の意味があったのではないか」などと考えて夜中に悩んだりはしません。

もちろん、それでは小説になりません。猫には人間のような「秘められた弱さ」を物語にする必要がないからです。

そう考えると、『風の琴』は人間の弱さを描いた本であると同時に、人間というものが「意味」を求めすぎる生き物であることを描いた本なのかもしれません。何でもない一枚の肖像画を見ても、そこに過去や秘密や運命を想像してしまう。何も語っていない人物にまで物語を与えてしまう。それが人間の面白さであり、同時に人間の面倒くささでもあります。

辻邦生の文章には、その面倒くささを笑い飛ばすようなところがあまりありません。だからこそ、作品全体にひんやりした空気が漂います。人間の人生を少し遠くから眺め、その美しさと弱さを同時に見つめているような感じです。

私はこういう作品を読むと、人間の複雑さに感心する一方で、「やっぱり猫くらい単純に生きたほうが楽なのではないか」と思ってしまいます。それでも人間は、今日も過去を思い出し、他人と比較し、意味を探し、勝手に悩んでいます。

そして、そのどうしようもなく人間的なところを、辻邦生は一枚の絵から五分ほどの物語にしてしまうのです。そこが、この短編集のいちばん面白いところだと思います。