フランス革命について調べていると、ときどき「いや、これはどういう人生なんだ」と思ってしまう人物に出会います。その一人がシャルロット・コルデーです。1793年7月13日。フランス革命の真っただ中、24歳の若い女性だったコルデーは、パリの自宅で浴槽に入っていたジャン=ポール・マラーを訪ねます。マラーといえば、革命派の中でもかなり過激な人物です。新聞『人民の友』を通じて敵対者を激しく攻撃し、革命の熱狂を煽った人物として知られています。今で言う週刊文春みたいなものでしょうか。

そんなマラーのところへ、コルデーは「反革命派の情報を持っています」と言ってやって来ました。そして、浴槽の中にいるマラーに近づき、ナイフで刺して殺します。しかし風呂に入っているときに知らん奴を家の中へ迎え入れるのってアホすぎないでしょうか。いやアホだと思います。そしてコルデーは逃げることもなく、その場で逮捕されます。そして裁判では、自分がマラーを殺したことを認めたうえで、「フランスを救うためだった」という趣旨の主張をします。すぐに彼女はギロチンによって処刑されました。

この事件について考えると、コルデーの行動の異様さに目が行きます。24歳の女性が一人でパリへ出てきて、革命の中心人物を暗殺します。しかも暗殺後に逃げずその場にとどまりました。まるで「自分がやるべきことをやったので、あとはどうぞ」という感じです。若いから後先考えなかったのか、こいつもアホだったのか、連合赤軍のメンバーみたいに信念に凝り固まっていたのかは一切わかりません。

そのため、後世には「暗殺の天使」といった、なぜか美化されたイメージまで生まれました。実際、コルデーを描いた絵画を見ると、単なる殺人者というより、悲劇のヒロインのように扱われています。これも正直美化しすぎだと思います。殺人犯ですから・・・。

しかし、私がこの事件でどうしても気になってしまうのは、コルデー以上にマラーのほうです。人を信用しすぎではないでしょうか。現代の感覚で「浴槽に入っているところに若い女性が訪ねてきたら警戒しろ」と言っても仕方ありません。当時のフランスは革命の真っただ中で、政治的な暗殺や暴力が現実に起こっていた時代です。しかもマラー自身、かなり多くの人間を敵視していたはずです。

それなのに、見知らぬ若い女性が「革命の敵について情報持ってきましたあ」と訪ねてきたら、浴槽の中から話を聞いてしまい、刺される。あまりにも不用心です。

しかも面白いのは、マラーが普段から「人間を信用しよう」というタイプだったわけではないことです。むしろ逆です。敵を疑い、裏切りを警戒し、革命のためなら容赦なく相手を排除するような人物でした。それなのに、自分のところへ来た一人の女性については、あっさり信用しました。こいつもアホ?

人間というのは不思議なものです。普段から他人を疑っている人ほど、特定の場面では妙に無防備だったりします。マラーもマラーで「俺は賢いから大丈夫」とか思っていたんでしょうか。それとも「俺は運がいいから安全だ」とも思っていたんでしょうか。知らんけど。

そしてコルデーの側も、「そんなに簡単に会えるの?」と思ってしまいます。現代でいえば、ものすごく物騒な政治家に、見知らぬ一般人が「ちょっと重要な情報があります」と言って訪ねていって、そのまま面会できてしまったようなものです。いや、いきなり訪問して会えるはずもないですね(実際には内縁の妻とその妹と3人で押し問答があったらしいです)。

革命という巨大な歴史の中で起きた暗殺事件なのに、なんだかここは間抜けな感じがします。奇跡のバカです。そして歴史が変わってしまいます・・・。

・・・こうして見ると、歴史というものは案外、大げさな「歴史的必然」だけで動いているわけではないのだと思います。誰かが油断したとか、誰かが一歩早く動いたとか、そういう非常に小さな出来事が、取り返しのつかないことになるわけです。

コルデーはマラーを殺しました。しかし、それによってフランス革命が終わったわけでもなく、むしろ革命はさらに激しさを増していきます。だから「暗殺の天使」という呼び方には、私は少し違和感があります。彼女が歴史に与えた影響は大きいとしても、たった一人を殺せば社会が変わるほど、歴史は単純ではありません。そして最後に残るのは、「少しは疑えよ!!」という、なんとも身も蓋もない感想です。

まあ、そうしていたら、シャルロット・コルデーという歴史上の人物も、マラー暗殺という事件も、今とはまったく違う形になっていたわけですが・・・。


参考文献