東京で有名なエリアといえば銀座だったり原宿だったり表参道だったり渋谷だったり。そこには様々な有名ブランド店がひしめいています。ティファニーだったりヴィトンだったりエルメスだったり、アップルストアだったり。原宿とか秋葉原に行くと日本のサブカルチャー寄りのお店がたくさんあります。

地方都市にはそういうエリアはめったにありません。大阪とか京都のような個性ある街なら話は別ですが、大抵はいまいち元気がない百貨店があるほかはイオンモールみたいな店、あとは商店街とか駅の地下街とかでしょうか。そういうところにはスタバとかABCマートとか、ティファニーのような高級ブランドではないもののまあまあの値段~日常使いの価格帯のお店が入店しています。

しかし私は気づいてしまいました。東京ではティファニーにもヴィトンにもエルメスにも一切立ち寄りませんでした。そして岡山に戻ってきた私はABCマートはおろか無印良品とかにも立ち寄りません。結局のところ、表参道だろうが原宿だろうが商店街だろうが、そのお店で買い物しなければ、実質何もないのと同じなのです・・・。実際にはそこで商売が成り立っているということは「何もない」というのは少々言い過ぎでしょう。でも私は立ち寄らないわけですから、私にしてみれば何もないことになるわけです。

東京と岡山で何が違うのかといえば、「店の数」や「生活に必要なもの」以上に、「そこへ行けば何かがある」という期待感なのかもしれません。銀座を歩けば高級ブランド店が並んでいます。表参道を歩けば洗練された店舗やカフェが次々に現れます。秋葉原に行けば、ほかの街では見かけないような趣味の店が密集しています。もちろん、そこで買い物をしなければ自分には何の利益もありません。それでも、「世の中にはこういう商売が成立するほど、いろいろな人がいるのだな」と感じさせるものがあります。

つまり東京の街の面白さは、必ずしも自分が消費することにあるのではなく、「選択肢が目の前に大量に存在していること」そのものにあるのではないでしょうか。ところが、私はその選択肢をほとんど利用しませんでした。銀座に行ってもティファニーを眺めて終わり。いや眺めず素通りして終わり。表参道を歩いてもエルメスには入らない。原宿に行っても若者向けの店で買い物をするわけではない。ウンコロナのせいでポムポムプリンカフェが閉店して悲しかった・・・。秋葉原に行っても、特に必要なものがなければ何も買わずに帰る(というか、何も買わないことのほうが圧倒的に多い)。

そう考えると、私にとって東京の「豊かさ」は、実はかなりの部分が幻だったのかもしれません。そして岡山に戻ってきた今、これは逆方向にも当てはまることに気づきました。岡山に東京ほどの店がないことを不満に思うことがあります。しかし、そもそも東京にあった店を私は使っていなかったのです。だったら、それが岡山にないことによって、私の日常生活は本当に不便になったのでしょうか。

答えは、どうも「ほとんどなっていない」です。結局のところ、街の魅力というものは、そこに何があるかだけでは決まりません。そこに住んでいる自分が何をする人間なのかによって、街の姿はまるで違って見えます。

ブランド品を買う人にとって銀座は巨大な商業空間ですが、私にとっては散歩する場所です。サブカルチャーが好きな人にとって秋葉原は楽園でしょうが、私にとっては「いろいろな店がある街」です。そして無印良品にもあまり行かない私にとっては、岡山の商業施設もまた、そこに何が入っているか以上に「必要なものがあれば行く場所」にすぎません。街の価値は、案外こちら側の人間によって決まってしまうものなのでしょう。