東京から岡山に戻ってきて、「東京も岡山もあまり変わらんな・・・」と思うことがあります。なにしろビックカメラもある、ABCマートもある、ユニクロもGUもある。無印良品もスタバもある。普通の生活をしようと思ったら、東京の人が日常的に訪れているはずのお店は岡山にもあります。たとえなかったとしても、アマゾンや楽天を使えば自宅まで商品を届けてくれます。
もちろん東京でしか体験できないものもたくさんあるでしょう。それはこのブログで何度も書いたので繰り返しません。ただ、東京近辺に暮らしていたとしても、それを毎週末体験しているわけではありません。劇団四季の「ライオンキング」がいかに完成度が高かろうとも、5回も10回も観に行く人はいないでしょう。
となると、地方都市でお金をどう使うのが最適解なのだろう、そもそも使い道があまりないよね、ということに思い至ります。車を買おうにも月曜から金曜までは運転しませんし、土日も必ず乗るわけではない。乗ったとしても帰り道も自分が運転するのは正直だるい。となると車はコスパの悪い投資になります。ますますお金の使い道がなくなります。
そう考えると、地方都市に戻ってきた人間にとって、最大の変化は「生活水準が下がること」ではなく、「お金を使う理由が減ること」なのかもしれません。
東京に住んでいると、何となくお金を使います。仕事帰りに駅ビルを歩いて、気になった服を買う。休日に新宿や銀座へ出かけて、昼食を食べて、映画を観て、喫茶店に入る。美術館へ行く。コンサートへ行く。便利だからタクシーに乗る。もちろん一回一回は大した金額ではありません。しかし、それが積み重なると結構な金額になります。
ところが岡山に戻ってくると、「今日は何をしようか」と考えたところで、そもそもお金を使う必要がありません。
家にはテレビもある。CDもDVDも大量にある。Amazonや楽天で欲しいものは買える。ヴァイオリンも弾ける。ランニングもできる。本も読める。少し出かけたければ倉敷や岡山まで行けばいい。東京にいたときと比べて、できなくなったことは確かにあります。しかし、毎日の生活に必要なものは、それほど失われていません。
むしろ面白いのは、東京に住んでいた頃には「東京に住んでいるのだから、東京らしいことをしなければ」と、どこかで思っていたことです。せっかく東京にいるのだから、展覧会に行かなければ、コンサートに行かなければ、有名な店で食事をしなければ、と考える。しかし実際には、仕事をして帰宅すれば、それだけで一日が終わります。
これは東京に限った話ではありません。大都市には「お金を使える場所」が大量に存在します。しかし、「お金を使わなければならない場所」が大量に存在するわけではありません。
そう考えると、地方暮らしの強みは意外なところにあります。消費しないことが、それほど苦痛ではないのです。
もちろん、地方でも高い車を買えばいくらでもお金は使えます。広い家を建ててもいい。高級な家具を買ってもいい。しかし、そういうものを本当に必要としているのでなければ、単に「お金があるから使う」という話になってしまいます。
結局のところ、地方都市でお金を使う最適解は、「使わないこと」なのかもしれません。
そして、これは決して貧しい話ではありません。むしろ逆です。お金を使わなくても退屈せずに生活できるということは、かなり強いことです。
東京では、お金があれば選択肢が増えます。岡山では、お金を使わなくても選択肢がそれなりに残っています。この違いは、思っていた以上に大きいのです。
東京から岡山に戻ってきて、私は少しずつそのことに気づき始めています。もしかすると地方暮らしとは、「何を買うか」ではなく、「何も買わなくても、どうやって楽しく生きるか」を考える暮らしなのかもしれません。
東京に住んでいると、何となくお金を使います。仕事帰りに駅ビルを歩いて、気になった服を買う。休日に新宿や銀座へ出かけて、昼食を食べて、映画を観て、喫茶店に入る。美術館へ行く。コンサートへ行く。便利だからタクシーに乗る。もちろん一回一回は大した金額ではありません。しかし、それが積み重なると結構な金額になります。
ところが岡山に戻ってくると、「今日は何をしようか」と考えたところで、そもそもお金を使う必要がありません。
家にはテレビもある。CDもDVDも大量にある。Amazonや楽天で欲しいものは買える。ヴァイオリンも弾ける。ランニングもできる。本も読める。少し出かけたければ倉敷や岡山まで行けばいい。東京にいたときと比べて、できなくなったことは確かにあります。しかし、毎日の生活に必要なものは、それほど失われていません。
むしろ面白いのは、東京に住んでいた頃には「東京に住んでいるのだから、東京らしいことをしなければ」と、どこかで思っていたことです。せっかく東京にいるのだから、展覧会に行かなければ、コンサートに行かなければ、有名な店で食事をしなければ、と考える。しかし実際には、仕事をして帰宅すれば、それだけで一日が終わります。
これは東京に限った話ではありません。大都市には「お金を使える場所」が大量に存在します。しかし、「お金を使わなければならない場所」が大量に存在するわけではありません。
そう考えると、地方暮らしの強みは意外なところにあります。消費しないことが、それほど苦痛ではないのです。
もちろん、地方でも高い車を買えばいくらでもお金は使えます。広い家を建ててもいい。高級な家具を買ってもいい。しかし、そういうものを本当に必要としているのでなければ、単に「お金があるから使う」という話になってしまいます。
結局のところ、地方都市でお金を使う最適解は、「使わないこと」なのかもしれません。
そして、これは決して貧しい話ではありません。むしろ逆です。お金を使わなくても退屈せずに生活できるということは、かなり強いことです。
東京では、お金があれば選択肢が増えます。岡山では、お金を使わなくても選択肢がそれなりに残っています。この違いは、思っていた以上に大きいのです。
東京から岡山に戻ってきて、私は少しずつそのことに気づき始めています。もしかすると地方暮らしとは、「何を買うか」ではなく、「何も買わなくても、どうやって楽しく生きるか」を考える暮らしなのかもしれません。

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