ヴァイオリンを練習していて、いつかはクロイツェルなどのエチュードをやれと教師から指示されることになります。やれと言われたそのときは結構嬉しいものです。これまでのカイザーからワンランク上のものにチャレンジすることになるわけですから、そりゃ嬉しいに決まっています。
でもその嬉しさは大抵すぐに打ち消されます。なにしろ内容が高度なのでこれまでのようにサクサクと進むわけではありません。そして曲っぽい練習曲である反面、調性がフラットやシャープが3つ、4つなんていうのは当たり前になります。となると音程もわりと不安定になりがちです。
そういうとき、大抵「和声を意識して」と言われてしまいます。でもそれってけっこうハードルが高いことです。ピアノのように和声をすぐに出せるわけではないのがヴァイオリン。単旋律の楽器なので和声を出すことそのものが難しいことなのです。そして楽器の構造的にそもそも音程が安定しなくて当たり前。絶対音感がなければそれが正しい音程なのか、間違っているのか、どの程度間違っていてどんなふうに修正すれば正しい音程になるのかなんて瞬時に分かるはずもありません。
仕方ないのでエレキギターをチューニングするときに使われがちなクリップ式チューナーを使って音程を確かめながら練習してみると、音程はある程度正確になるものの、クラシック特有の「音楽に情感を乗せる」ということがおろそかになり、「そのアラーム音みたいな音やめたれーや」と怒られてしまいます。
そこで最近は、チューナーと楽譜の間を行ったり来たりしながら練習するようになりました。まずチューナーで音程を確認し、「なるほど、この音は高かったのか」と理解する。そして今度はチューナーを見ずに、同じ音をもう一度弾いてみる。すると、さっきよりは少しだけ正しい場所に指が置けるようになります。
しかし、これを延々とやっていると、今度は別の問題が発生します。クロイツェルを弾いているはずなのに、いつの間にか「正しい周波数を当てるゲーム」になってしまうのです。
本来、音楽というのはそんなものではありません。例えば同じ「ラ」の音でも、前後の音との関係によって、その音が持つ意味は変わります。フレーズの途中なら次の音へ進んでいくための音ですし、フレーズの終わりなら落ち着く音になります。強く弾くのか、弱く弾くのか、少し音を張るのか、逆に力を抜くのか。そういうことを考えて初めて、単なる音符の羅列が音楽になっていきます。
ところが、音程が怪しい段階では、そんな余裕がありません。「このファ♯、高い? 低い?」「次のシ♭はどこだ?」などと考えているうちに、音楽的なことを考える脳の容量がなくなってしまいます。
つまりクロイツェルというのは、単純に「カイザーより難しい練習曲」なのではありません。音程、左手の運指、右手のボウイング、リズム、そして音楽的な表現。そのすべてを同時に要求してくる、なかなか容赦のない存在なのです。
しかも困ったことに、少し弾けるようになってくると、今度は先生から「もっと歌って」と言われます。
いや、歌っています。本人としてはものすごく歌っているのです。しかし録音して聴いてみると、そこには「音程を間違えないように必死になっている人」がいるだけだったりします。これはなかなか悲しい現実です。結局のところ、クロイツェルを練習するというのは、正しい音を並べることから始めて、そこから少しずつ「音楽」に戻していく作業なのかもしれません。
チューナーを見て音程を確認することも必要。でも、最終的にはチューナーを見なくても、その音が自分の耳で「ここだ」と分かるようにならなければいけない。そして、その先にようやく和声を感じたり、フレーズを歌わせたりする世界があるのでしょう。そう考えると、教師から「和声を意識して」と言われたときに、「そんな高度なことをいきなり言われてもなあ」と思ってしまうのも無理はありません。
クロイツェルへの道は、どうやらカイザーから一段上がるだけの階段ではなかったようです。むしろ、そこから先にはかなり長い階段が続いているのでした。
しかし、これを延々とやっていると、今度は別の問題が発生します。クロイツェルを弾いているはずなのに、いつの間にか「正しい周波数を当てるゲーム」になってしまうのです。
本来、音楽というのはそんなものではありません。例えば同じ「ラ」の音でも、前後の音との関係によって、その音が持つ意味は変わります。フレーズの途中なら次の音へ進んでいくための音ですし、フレーズの終わりなら落ち着く音になります。強く弾くのか、弱く弾くのか、少し音を張るのか、逆に力を抜くのか。そういうことを考えて初めて、単なる音符の羅列が音楽になっていきます。
ところが、音程が怪しい段階では、そんな余裕がありません。「このファ♯、高い? 低い?」「次のシ♭はどこだ?」などと考えているうちに、音楽的なことを考える脳の容量がなくなってしまいます。
つまりクロイツェルというのは、単純に「カイザーより難しい練習曲」なのではありません。音程、左手の運指、右手のボウイング、リズム、そして音楽的な表現。そのすべてを同時に要求してくる、なかなか容赦のない存在なのです。
しかも困ったことに、少し弾けるようになってくると、今度は先生から「もっと歌って」と言われます。
いや、歌っています。本人としてはものすごく歌っているのです。しかし録音して聴いてみると、そこには「音程を間違えないように必死になっている人」がいるだけだったりします。これはなかなか悲しい現実です。結局のところ、クロイツェルを練習するというのは、正しい音を並べることから始めて、そこから少しずつ「音楽」に戻していく作業なのかもしれません。
チューナーを見て音程を確認することも必要。でも、最終的にはチューナーを見なくても、その音が自分の耳で「ここだ」と分かるようにならなければいけない。そして、その先にようやく和声を感じたり、フレーズを歌わせたりする世界があるのでしょう。そう考えると、教師から「和声を意識して」と言われたときに、「そんな高度なことをいきなり言われてもなあ」と思ってしまうのも無理はありません。
クロイツェルへの道は、どうやらカイザーから一段上がるだけの階段ではなかったようです。むしろ、そこから先にはかなり長い階段が続いているのでした。
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