ロッシーニがわずか12歳のときに作曲した『弦楽のためのソナタ』。演奏頻度は高くはありませんが、CDもかなりリリースされているということはそれなりに有名な作品なのでしょう。それもそのはず、後年オペラで名声を高めることになる彼の才能の片鱗を伺わせる出来栄えとなっています。
12歳といえば今でいう小学校6年生。6年生がこういう作品を作るなんて信じられますか。私なら何年作曲を学んでもきっと無理でしょう。ロッシーニは『弦楽のためのソナタ』を残したのち、『セビリアの理髪師』をはじめとする数多くのオペラを残し、のちに作曲活動にも終止符を打ち37歳で悠々自適な毎日を送ることとなりました。
この作品は確かに優れた作品です。しかしある意味、優れていることそれ自体が彼の才能の限界を示していたように思えてなりません。というのも後に発表するオペラと特徴が似ていて、それほど伸びしろがあったとは思えないからなのです。
ベートーヴェンの場合、交響曲をひとつ作るごとに長足の進歩を遂げています。交響曲第1番、第2番と来て次に第3番『英雄』。この第3番だけでも音楽史上の金字塔ですが、そのあと5番、6番さらに第9番と続きます。このような進歩と比べると、『弦楽のソナタ』は確かに名作ではあるものの、なんだかちょっとかわいそうな気がしなくもないのです。
といってもロッシーニをベートーヴェンと同じ物差しで測ってしまうと、少し酷なのかもしれません。そもそも二人の音楽家が目指していたものが違うからです。
ロッシーニの音楽には、若い頃からすでに完成された「ロッシーニらしさ」があります。軽快なリズム、明快な旋律、華やかな楽器の扱い、そして聴いていて思わず楽しくなってしまうようなサービス精神。『弦楽のためのソナタ』には、それらが12歳とは思えないほど自然な形で現れています。そして驚くべきことに、その基本的な個性は、後年の『セビリアの理髪師』などにもそのまま受け継がれていきます。
これは見方によっては「12歳ですでに完成してしまった」ということになります。ベートーヴェンのように、苦悩しながら新しい表現を獲得していくタイプとはずいぶん違います。ベートーヴェンの作品を年代順に聴いていると、「こんなところまで来たのか」と驚かされます。ところがロッシーニの場合、「ああ、これは確かにロッシーニだな」と思わせるものが、すでに少年時代から存在しているのです。
ただし、それを「才能の限界」と呼ぶのも、やはり違うような気がします。ロッシーニは、ベートーヴェンのように音楽そのものを一生かけて変革する必要を感じていなかったのではないでしょうか。自分が得意とするものを極限まで磨き上げ、それによって聴衆を楽しませる。それもまた、ひとつの巨大な才能です。
そして何より面白いのは、37歳で作曲活動をほぼ終えてしまったことでしょう。普通なら「これからが円熟期」という年齢です。それなのにロッシーニは、オペラの世界で名声も財産も手に入れると、さっさと第一線から退いてしまいました。
『弦楽のためのソナタ』を聴いていると、12歳の少年が「自分はこれができる」と発見してしまったようにも思えます。そしてロッシーニは、その能力を大人になってから延々と証明し続けた。ベートーヴェンが「次は何ができるだろう」と前へ前へ進んだ音楽家だとすれば、ロッシーニは「自分にできることはこれだ」と早くから知っていた音楽家だったのかもしれません。
そう考えると、この作品は単なる「12歳の天才少年が作った名曲」ではなく、後のロッシーニの人生そのものを予告しているようにも聴こえてきます。
ロッシーニの音楽には、若い頃からすでに完成された「ロッシーニらしさ」があります。軽快なリズム、明快な旋律、華やかな楽器の扱い、そして聴いていて思わず楽しくなってしまうようなサービス精神。『弦楽のためのソナタ』には、それらが12歳とは思えないほど自然な形で現れています。そして驚くべきことに、その基本的な個性は、後年の『セビリアの理髪師』などにもそのまま受け継がれていきます。
これは見方によっては「12歳ですでに完成してしまった」ということになります。ベートーヴェンのように、苦悩しながら新しい表現を獲得していくタイプとはずいぶん違います。ベートーヴェンの作品を年代順に聴いていると、「こんなところまで来たのか」と驚かされます。ところがロッシーニの場合、「ああ、これは確かにロッシーニだな」と思わせるものが、すでに少年時代から存在しているのです。
ただし、それを「才能の限界」と呼ぶのも、やはり違うような気がします。ロッシーニは、ベートーヴェンのように音楽そのものを一生かけて変革する必要を感じていなかったのではないでしょうか。自分が得意とするものを極限まで磨き上げ、それによって聴衆を楽しませる。それもまた、ひとつの巨大な才能です。
そして何より面白いのは、37歳で作曲活動をほぼ終えてしまったことでしょう。普通なら「これからが円熟期」という年齢です。それなのにロッシーニは、オペラの世界で名声も財産も手に入れると、さっさと第一線から退いてしまいました。
『弦楽のためのソナタ』を聴いていると、12歳の少年が「自分はこれができる」と発見してしまったようにも思えます。そしてロッシーニは、その能力を大人になってから延々と証明し続けた。ベートーヴェンが「次は何ができるだろう」と前へ前へ進んだ音楽家だとすれば、ロッシーニは「自分にできることはこれだ」と早くから知っていた音楽家だったのかもしれません。
そう考えると、この作品は単なる「12歳の天才少年が作った名曲」ではなく、後のロッシーニの人生そのものを予告しているようにも聴こえてきます。

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