2026年の7月の後半はものすごい暑さでした。8月になってもその暑さは継続しました。通勤が辛いのなんの。駅から職場まで数百メートルだというのに、そしてまだ朝9時にもなってないというのに、嫌がらせのような暑さ。横断歩道で直射日光を浴びなければならないその辛さはもはや悪意を感じるほどです。たまに露骨に自動車優先、歩行者配慮なしといった風情の交差点があります。私が毎日渡るのもそれ。ますます悪意を感じます。

そしてようやくたどり着いた職場は朝9時からすでにエアコンが効いており快適そのもの。

なぜ私がそんな話を書くかというと、以前勤めていた職場はエアコンの効きが悪く、夏は暑い、蒸し暑いといった環境だったからです。当然のごとく蚊とかゴキブリとか、虫が入ってきます。鬱陶しいことこの上ありません。仕事にも集中しづらいです。

そういう経験があるからこそ、エアコンがまともに機能している職場というのはものすごく恵まれていることだと思うのです。

「エアコンが効いている」というのは、働く環境としてかなり重要な条件なのではないでしょうか。求人票に「冷暖房完備」と書かれていたところで、それを見て「この会社に入りたい!」と思う人はほとんどいないでしょう。給与や休日、仕事内容、福利厚生などに比べれば、エアコンなど些細な条件に見えます。ところが、実際に毎日そこで8時間働くとなると話が違ってきます。

夏の暑さというものは、単に「暑い」というだけではありません。汗をかく。不快になる。水分を取りたくなる。頭がぼんやりする。そして何より、暑さそのものに意識を持っていかれます。「暑いなあ」と思いながら仕事をすることになります。これは、仕事とは直接関係のないところで集中力を奪われているということです。

しかも厄介なのは、暑さに慣れてしまうと、それが「普通」になってしまうことです。以前の職場では、夏になると「今日は暑いな」「エアコンがあまり効いていないな」と思いながら仕事をしていました。しかし、毎日そういう状態が続いていると、それが職場というものなのだと思ってしまいます。

ところが、環境が変わってみると、その違いがよく分かります。外は猛烈に暑い。駅から職場まで歩いているだけで汗が出る。横断歩道で信号待ちをしていると、アスファルトから熱気が上がってくる。太陽は容赦なく照りつける。

ところが、職場のドアを開けると涼しい。この落差がすごいのです。「文明って素晴らしいな」とすら思います。そして、涼しい部屋に入って仕事を始めると、暑さのことなどすっかり忘れてしまいます。パソコンに向かって、Excelを操作したり、メールを処理したり、資料を確認したりする。暑さという余計な問題を意識する必要がありません。

考えてみれば、これは非常にありがたいことです。働くということは、それだけで一定のストレスがあります。仕事の内容、人間関係、締め切り、責任、通勤など、いろいろなところから負荷がかかります。そのうえ「暑い」「蒸し暑い」「虫が飛んでいる」といった余計なストレスまで加わる必要はありません。

だからこそ、快適な職場環境というものは、決して贅沢ではないのだと思います。空調がきちんと動いている。照明がきちんと点く。トイレがきれいである。机や椅子が普通に使える。こうした「当たり前」の一つ一つが、実は仕事をするための重要な土台になっています。

そして一度それを経験すると、以前どれだけ劣悪な環境で仕事をしていたのかにも気づきます。何事も、失って初めてありがたさが分かると言います。しかし逆に、環境が良くなって初めて、「今まで自分はこんなことで消耗していたのか」と気づくこともあります。

この夏、私は駅から職場までの数百メートルで毎朝「暑い、暑い」と思いながら歩いています。それでも職場に入って涼しい空気を感じると、少しホッとします。そして思うのです。「少なくとも、職場に着いてからまで暑さと戦わなくていい。それだけでも、ずいぶん恵まれているじゃないか」と。