ヴァイオリンを弾く人なら、バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディといったバロック音楽がかなり重要なレパートリーを占めることになるはずです。とくにアマチュアなら尚更です。なにしろメンデルスゾーンとかベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲はアマチュアには無理です。でもバロックの協奏曲ならなんとか太刀打ちできるくらいの難しさに収まっているからです。
でも実際に弾いていると、自分ながら違和感を覚えるときがあります。音程がどうとかフレージングがどうとかもそうなのですが、そもそも私たちの時代は古典そしてロマン派を経ているわけですから、ついヴィブラートをかけてしまいます。それがいいかどうかは別として、ついうっかりヴィブラートをかけてしまうのです。
しかし、バロック音楽では最近ではノンヴィブラートが主流です。それがいいかどうかもまた別問題ながらも、ノンヴィブラートのバロック音楽はたしかに「それらしい」雰囲気が出ていることもまた確かなのです。では、なぜ現代の演奏家はノンヴィブラートを志向するようになったのでしょうか。
その背景には、20世紀後半以降に盛んになった「古楽演奏」があります。バッハやヘンデルが生きていた18世紀には、現在のような金属弦はなく、ガット弦が一般的でした。弓の形も違えば、楽器の構造も異なります。当然、演奏技法も現代とは一致しません。そこで当時の楽譜や教則本、さらには残された文献を研究し、「作曲家が本来聴いていたであろう響き」に近づこうという試みが始まりました。
その研究のなかで見直されたものの一つがヴィブラートです。現在ではヴィブラートは音を美しく響かせるための常時使用する技法という感覚がありますが、18世紀には装飾音の一種として、必要な箇所だけに用いられていたと考えられています。つまり、現代の感覚で四六時中ヴィブラートをかけ続けることは、少なくとも当時の演奏習慣とは異なっていた可能性が高いのです。
もっとも、だからといって「ノンヴィブラートこそ絶対に正しい」という話でもありません。そもそも18世紀の演奏を録音したものは存在せず、私たちは文献から推測するしかありません。しかも、その文献自体も地域や演奏家によって見解が異なります。歴史的演奏法とは、過去を忠実に再現するというより、限られた資料をもとに最も説得力のある仮説を組み立てる営みだと言ったほうが正確でしょう。
私自身も、バロック作品を弾いていると、気づけば左手が自然にヴィブラートを始めてしまいます。これは長年、モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスといった作品を学んできた身体の記憶なのでしょう。一度身についた演奏習慣は簡単には消えません。しかし、だからこそノンヴィブラートで弾いてみると、音の輪郭や和声の動きが驚くほど鮮明に感じられることがあります。ヴィブラートという「色彩」を取り去ることで、旋律そのものの美しさが前面に現れてくるのです。
結局のところ、大切なのはヴィブラートをかけるか、かけないかという二者択一ではないのかもしれません。なぜその作品でその奏法を選ぶのか、自分なりに理由を持って演奏することです。歴史を学び、当時の演奏習慣に耳を傾けながら、それでも最後は現代の演奏者として一つの解釈を示す。その試行錯誤こそが、バロック音楽を演奏する面白さなのではないかと私は思っています。
その背景には、20世紀後半以降に盛んになった「古楽演奏」があります。バッハやヘンデルが生きていた18世紀には、現在のような金属弦はなく、ガット弦が一般的でした。弓の形も違えば、楽器の構造も異なります。当然、演奏技法も現代とは一致しません。そこで当時の楽譜や教則本、さらには残された文献を研究し、「作曲家が本来聴いていたであろう響き」に近づこうという試みが始まりました。
その研究のなかで見直されたものの一つがヴィブラートです。現在ではヴィブラートは音を美しく響かせるための常時使用する技法という感覚がありますが、18世紀には装飾音の一種として、必要な箇所だけに用いられていたと考えられています。つまり、現代の感覚で四六時中ヴィブラートをかけ続けることは、少なくとも当時の演奏習慣とは異なっていた可能性が高いのです。
もっとも、だからといって「ノンヴィブラートこそ絶対に正しい」という話でもありません。そもそも18世紀の演奏を録音したものは存在せず、私たちは文献から推測するしかありません。しかも、その文献自体も地域や演奏家によって見解が異なります。歴史的演奏法とは、過去を忠実に再現するというより、限られた資料をもとに最も説得力のある仮説を組み立てる営みだと言ったほうが正確でしょう。
私自身も、バロック作品を弾いていると、気づけば左手が自然にヴィブラートを始めてしまいます。これは長年、モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスといった作品を学んできた身体の記憶なのでしょう。一度身についた演奏習慣は簡単には消えません。しかし、だからこそノンヴィブラートで弾いてみると、音の輪郭や和声の動きが驚くほど鮮明に感じられることがあります。ヴィブラートという「色彩」を取り去ることで、旋律そのものの美しさが前面に現れてくるのです。
結局のところ、大切なのはヴィブラートをかけるか、かけないかという二者択一ではないのかもしれません。なぜその作品でその奏法を選ぶのか、自分なりに理由を持って演奏することです。歴史を学び、当時の演奏習慣に耳を傾けながら、それでも最後は現代の演奏者として一つの解釈を示す。その試行錯誤こそが、バロック音楽を演奏する面白さなのではないかと私は思っています。
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