アメリカ合衆国は50の州が集まって構成されていることはみんな知っています。カリフォルニアとかハワイとかアラスカとかコロラドとか・・・。ところで、それぞれの州にState Mottoがあることはあまり知られていません。たとえばアラバマならAudemus jura nostra defendere. (我ら恐れず権利を守る)。ニューハンプシャーはLive Free or Die. これは自由な生か死か、でありずいぶんとロックな内容になっています。

それぞれ、英語なりラテン語なりでこういった標語を定めており、これが住民たちが団結するときの拠り所となっている、というわけです。実際に普段その州に住んでいる皆さんがどこまで意識しているかどうかは謎ですが・・・。たぶんあまり意識しないでしょうね。長野県民が長野県の歌をいつも歌っているわけではないのと同じように。

なぜこんな話をするのかというと、私はこういう「組織の理念を短い言葉で表現する文化」が昔から好きだからです。もちろん、標語があるからといって現実がその通りになるわけではありません。Live Free or Dieを掲げるニューハンプシャー州の住民全員が自由のためなら命を投げ出す覚悟を持っているとは思いませんし、我ら恐れず権利を守るを掲げるアラバマ州でも、日常生活では普通にスーパーへ買い物に行き、会社へ出勤し、夕方にはテレビを見ながら夕食を食べていることでしょう。

それでも、人間というものは「自分たちは何者なのか」という問いに対する答えを欲しがる生き物です。

会社には社是があります。学校には校訓があります。軍隊にはモットーがあります。大学には建学の精神があります。そして州にはState Mottoがあります。

普段は意識しなくても、「私たちはこういう価値観を大切にしています」という旗印がある。それだけで共同体には一本の背骨が通るような気がします。そう考えると、日本では都道府県の「県民歌」はあっても、「県民の信条」を一言で表す文化はあまりありません。県章やシンボルマークは知っていても、「この県は何を理想としているのか」と聞かれると答えられる人は少ないでしょう。

それなら個人はどうでしょうか。会社の理念や自治体の標語はあっても、自分自身の理念を持っている人は意外と少ないように思います。私は以前から、自分なりの「マイ・クレド」を持ちたいと考えてきました。長い人生では、仕事で迷うこともあれば、人間関係で悩むこともあります。何かを選ばなければならない場面は数え切れないほど訪れます。そのたびに場当たり的な判断をするより、「私はこう生きる」という一文があれば、迷ったときに立ち返る場所になります。

もちろん、それは立派な言葉である必要はありません。ラテン語である必要も、英語である必要もありません。たった一行、日本語でも十分です。

たとえば「昨日より少し前へ。」でもいいでしょうし、「知性と誠実を忘れない。」でもいい。「恐れず挑戦する。」でも、「人に親切、自分に厳しく。」でも構いません。大切なのは、他人を感心させることではなく、自分自身が納得できることです。

アメリカの州のモットーを眺めていると、それぞれが何百年という歴史の中で磨かれてきた言葉であることを感じます。そして、その姿を見ていると、「自分という一つの共和国にも、憲法の前文のような一節があってもいいではないか」と思うのです。

毎朝それを唱える必要はありません。額縁に入れて飾る必要もありません。けれども、人生という長い航海の途中で進路を見失いそうになったとき、自分だけのState Mottoが静かな羅針盤になってくれる。私はそんな言葉を、一つ持っていたいと思っています。