「カルペ・ディエム(Carpe diem)」。これは「今日を摘め」という意味であり、「メメント・モリ (Memento mori)」(死を想え)と対を成す言葉です。人間一度は必ず死にます。そのことを忘れるな、盛者必衰だぞということを戒めるためにメメント・モリが使われ、翻って「いつかは死んでしまうんだから、今を大切にしようよ」ということを強調するためにカルペ・ディエムという言葉が用いられるわけです。まさに対句ですね。

このカルペ・ディエム、古代ローマの詩人ホラティウスが『歌集』第1巻第11歌のなかに書き残した言葉だとされています。

この「今を大切にしよう」という言葉は、ともすると誤解されやすいものです。カルペ・ディエムというと、「欲しいものは今すぐ買おう」「行きたい場所には全部行こう」「やりたいことは何でもやろう」といった、享楽主義を勧める言葉のように受け取られることがあります。しかし、私はホラティウスが本当に伝えたかったことは、それほど単純なものではないと思います。

現代社会は、将来への備えを重視する社会です。老後資金を準備し、キャリアを考え、健康維持に努め、資産形成にも取り組みます。どれも人生を豊かにするためには大切なことですし、否定されるべきものではありません。ただ、その一方で、私たちは「未来」のために「今」を犠牲にしてしまうことがあります。

「昇進してから趣味を始めよう」「退職して時間ができたら旅行に行こう」「余裕ができたら本を読もう」。このように考えているうちに、年月は静かに流れていきます。未来のために準備を続けていたはずが、気づけば人生そのものが準備期間になってしまうこともあります。

そこで思い出したいのが、メメント・モリです。人は必ず死にます。しかし、それが何十年後なのか、それとも明日なのかは誰にも分かりません。だからこそ、「今日を摘め」というカルペ・ディエムという言葉が意味を持つのでしょう。

ここでいう「今日を摘む」とは、派手に遊ぶことでも、お金を惜しまず使うことでもありません。今日という一日を丁寧に生きることだと私は考えています。例えば、休日に好きな音楽を聴くこと。本を一冊読むこと。少し散歩をすること。家族や友人と食事をすること。こうした何気ない時間は、一見すると特別な出来事ではありません。しかし、人生はそのような「特別ではない一日」の積み重ねによってできています。

私たちは人生の節目ばかりに目を向けがちです。受験、就職、転職、結婚、昇進、退職などは確かに重要な出来事です。しかし、それらは人生全体から見ればほんの一瞬に過ぎません。残りの大半は、普段どおりの日常です。日常を大切にできなければ、人生そのものを大切にしたことにはならないでしょう。

メメント・モリとカルペ・ディエムは、一見すると正反対の言葉に見えます。しかし実際には、お互いを補い合う関係にあります。人はいつか必ず死ぬ。その事実を忘れないからこそ、今日という一日がかけがえのないものになります。約2000年前にホラティウスが残したこの言葉は、忙しさのあまり毎日を「こなす」だけになりがちな現代人にこそ必要なメッセージなのかもしれません。未来に備えることはもちろん大切です。しかし、それと同じくらい、今日という1日を味わいながら生きることもまた、大切なのではないでしょうか。