東京から岡山へ引っ越してきて思うのは「道がスカスカだな・・・」ということ。道路は太いのに、交通量はそれほどでもありません。なんて運転が簡単なんだ! あの首都高とかのわけのわからん道路の設計と交通量は何だったんだ!! と思ってしまうほどです。
さらには「スーパーがスカスカだな・・・」とも思ってしまいます。お店は広いのに、お客さんはまばら。これでどうやって経営が維持されているのか分かりませんが、私がそう思ったスーパーはもう30年くらいそこで営業しています。
なぜスカスカだと思ったのか。それは先週まで東京にいたからに決まっています。新宿や渋谷に行くと無限に人が湧いてきます。人を避けるだけで一苦労。避けても避けてもほんとに無限に湧いてくるのでいつも苦労します。疲弊します。渋谷駅からNHKホールへ歩いたときはそれだけで本当に消耗しました。
そして思いました。人混みというのはボディーブローのように人のメンタルを削るんだなと。「人混みが嫌いなんですよね」と言うと、しばしば「人付き合いが苦手だからでしょう」と受け取られることがあります。しかし、私が感じているのは少し違います。
人混みそのものが悪いわけではありません。文化施設が充実していること、美術館やコンサート、イベントが数多く開催されること。東京には東京の大きな魅力があります。私自身、その恩恵をたくさん受けてきました。ただ、その魅力を享受するためには、常に大量の人間と空間を共有しなければならないのです。
駅へ向かえば人の流れに乗り、電車では周囲に気を遣い、改札を抜けても歩く速度を合わせなければならない。休日に少し買い物へ行くだけでも、人を避け、人にぶつからないよう神経を使い続けます。一つひとつは些細なことです。しかし、それが毎日積み重なると、気づかないうちに精神力を消耗していきます。ボディーブローという表現を使ったのは、そのためです。
一発なら何ともありません。しかし何百発、何千発と受け続けると、ある日ふと「あれ、最近なんだか疲れやすいな」と感じるようになる。人混みのストレスとは、そのような種類のものではないでしょうか。一方、岡山へ戻ってきて驚いたのは、「人を避ける」という行為そのものが激減したことです。
スーパーではカート同士がぶつからないよう神経質になる必要もありません。駐車場も余裕があります。道路では車線変更に命がけになることもなく、信号が変わっても後続車から容赦なくプレッシャーをかけられることも少ないですね。街全体に「急がなくても大丈夫ですよ」という空気が流れているように感じます。
もちろん、地方には地方の不便さがあります。公共交通機関は限られていますし、選択肢も東京ほど多くありません。仕事の数も、専門職であればなおさら限られます。そのため、「東京が悪くて地方が良い」という単純な話ではありません。
しかし、生活の質というものは、年収や利便性だけでは測れないのだということを、今回の引っ越しで改めて実感しました。人間は、毎日ほんの少しずつ環境から影響を受けています。その影響はあまりにも小さいため、自分では気づきません。しかし5年、10年と積み重なれば、大きな違いになって現れます。
静かな道路を走ること。混雑していないスーパーで買い物をすること。信号待ちで空を見上げる余裕があること。そうした一つひとつは贅沢には見えません。しかし、心に余白を残してくれるという意味では、都会ではなかなか手に入らない贅沢なのかもしれません。
東京に住んでいた頃は、それが当たり前でした。当たり前だから比較する対象がありませんでした。ところが岡山へ戻ってきて初めて、「ああ、自分は毎日これほどの情報量と人の密度の中で暮らしていたのか」と客観的に見ることができたのです。
住む場所が変わると、景色だけでなく、自分自身の感覚まで変わります。今の私にとって「道がスカスカ」「スーパーがスカスカ」という第一印象は、単なる田舎の風景ではありません。心が常に緊張状態に置かれていたことを教えてくれた、一つの発見だったのです。
人混みそのものが悪いわけではありません。文化施設が充実していること、美術館やコンサート、イベントが数多く開催されること。東京には東京の大きな魅力があります。私自身、その恩恵をたくさん受けてきました。ただ、その魅力を享受するためには、常に大量の人間と空間を共有しなければならないのです。
駅へ向かえば人の流れに乗り、電車では周囲に気を遣い、改札を抜けても歩く速度を合わせなければならない。休日に少し買い物へ行くだけでも、人を避け、人にぶつからないよう神経を使い続けます。一つひとつは些細なことです。しかし、それが毎日積み重なると、気づかないうちに精神力を消耗していきます。ボディーブローという表現を使ったのは、そのためです。
一発なら何ともありません。しかし何百発、何千発と受け続けると、ある日ふと「あれ、最近なんだか疲れやすいな」と感じるようになる。人混みのストレスとは、そのような種類のものではないでしょうか。一方、岡山へ戻ってきて驚いたのは、「人を避ける」という行為そのものが激減したことです。
スーパーではカート同士がぶつからないよう神経質になる必要もありません。駐車場も余裕があります。道路では車線変更に命がけになることもなく、信号が変わっても後続車から容赦なくプレッシャーをかけられることも少ないですね。街全体に「急がなくても大丈夫ですよ」という空気が流れているように感じます。
もちろん、地方には地方の不便さがあります。公共交通機関は限られていますし、選択肢も東京ほど多くありません。仕事の数も、専門職であればなおさら限られます。そのため、「東京が悪くて地方が良い」という単純な話ではありません。
しかし、生活の質というものは、年収や利便性だけでは測れないのだということを、今回の引っ越しで改めて実感しました。人間は、毎日ほんの少しずつ環境から影響を受けています。その影響はあまりにも小さいため、自分では気づきません。しかし5年、10年と積み重なれば、大きな違いになって現れます。
静かな道路を走ること。混雑していないスーパーで買い物をすること。信号待ちで空を見上げる余裕があること。そうした一つひとつは贅沢には見えません。しかし、心に余白を残してくれるという意味では、都会ではなかなか手に入らない贅沢なのかもしれません。
東京に住んでいた頃は、それが当たり前でした。当たり前だから比較する対象がありませんでした。ところが岡山へ戻ってきて初めて、「ああ、自分は毎日これほどの情報量と人の密度の中で暮らしていたのか」と客観的に見ることができたのです。
住む場所が変わると、景色だけでなく、自分自身の感覚まで変わります。今の私にとって「道がスカスカ」「スーパーがスカスカ」という第一印象は、単なる田舎の風景ではありません。心が常に緊張状態に置かれていたことを教えてくれた、一つの発見だったのです。
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