地元岡山に引っ越して来ました。東京ではなく岡山で仕事を見つけるのはかなり難しかったですが、それ以上に東京を離れるという決断を実際に下し、かつ具体的に作業を進めていくことのほうがはるかに難しかったです。
そして岡山に戻ってきて思うのは・・・。街がスカスカ! 人もスカスカ!! 一瞬、ここはニュージーランドかと思ってしまいました。いやニュージーランドはもっとスカスカでしたが・・・。そうなると車がないとどこかへ出かけるときにかなり苦労します。自転車だととても移動できる距離ではありません。とくに夏場は。
私が東京に住んでいたとき、たとえばプールに行きたいと思ったとします。すると半径2km程度のところに2箇所もスポーツセンターが設置されており、自転車ですぐに行くことができました。私が住んでいた江東区はスポーツに力を入れているので(東京オリンピックでも多くの種目は江東区の施設が会場でした)、とてもありがたかったです。
が、岡山に戻ってくると街がスカスカ! ということは最寄りのプールまで7kmも離れたところにある、ということになります。自転車で行くような距離ではないですね。結果、車を使うのですが、これでも片道20分はかかります。1時間の水泳のために往復40分かかるのって、かなりの機会損失です。
地方都市では、「目的地に着くまでの時間」が都市生活とはまったく異なる意味を持ちます。
東京では、移動時間そのものが短いだけでなく、「選択肢」が多く存在しました。プールだけではありません。図書館、美術館、書店、病院、家電量販店、ホームセンターなど、多くの施設が生活圏内に集積しています。「少し行ってみよう」と思い立ってから実際に行動へ移すまでの心理的なハードルが極めて低いのです。
一方、地方都市では事情が異なります。一つ一つの施設は立派でも、点在しています。目的地まで車で20分というのは決して珍しい距離ではありません。しかし、この20分という数字は意外と重いものです。往復すれば40分。そこへ駐車場への出入りや信号待ちまで加えると、実際には1時間近くが「移動」のために消えてしまうこともあります。
もちろん、「車で20分くらい大したことはない」と感じる人も多いでしょう。実際、地方ではその感覚が当たり前になっています。しかし、東京で数年間生活した身からすると、その40分があればヴァイオリンの練習もできますし、本も数十ページ読めます。ランニングに出かけることもできますし、昼寝をして体力を回復することさえできます。つまり、本来は自分のために使えた時間が、純粋な移動だけに消費されているわけです。
経済学では、ある行動を選択したことによって失われる別の価値を「機会費用」と呼びます。地方都市の移動は、まさにこの機会費用の問題ではないでしょうか。ガソリン代や車の維持費だけではありません。最も大きなコストは、お金ではなく時間なのです。
しかも、この時間の損失は日々少しずつ積み重なります。買い物へ行く、役所へ行く、病院へ行く、趣味を楽しむ。そのたびに20分、30分という移動時間が発生します。一回だけなら気にならなくても、一年単位で積み上げれば数十時間、あるいは百時間を超えることもあるでしょう。人生全体で考えれば、その差は決して小さくありません。
一方で、地方には地方ならではの価値もあります。住宅は広く、自然も豊かで、人混みに疲れることも少ないでしょう。東京では家賃の高さゆえに住空間を犠牲にしていた人も、地方ではゆとりある生活を送れるかもしれません。つまり、地方で失われるものが「時間」であるならば、得られるものは「空間」や「静けさ」なのです。
結局のところ、都市と地方のどちらが優れているという話ではありません。時間を重視するのか、空間を重視するのか。その価値観によって評価は変わります。ただ、地方への移住を考える際には、家賃や物価だけを比較していては見落としてしまう要素があります。それは、毎日の生活の中で静かに積み重なっていく「移動時間」というコストです。
東京を離れて初めて、その存在の大きさに気づきました。そして、地方で暮らすということは、車を所有することではなく、「時間との付き合い方」を都市とは別の形に切り替えることなのだと、少しずつ実感しています。
東京では、移動時間そのものが短いだけでなく、「選択肢」が多く存在しました。プールだけではありません。図書館、美術館、書店、病院、家電量販店、ホームセンターなど、多くの施設が生活圏内に集積しています。「少し行ってみよう」と思い立ってから実際に行動へ移すまでの心理的なハードルが極めて低いのです。
一方、地方都市では事情が異なります。一つ一つの施設は立派でも、点在しています。目的地まで車で20分というのは決して珍しい距離ではありません。しかし、この20分という数字は意外と重いものです。往復すれば40分。そこへ駐車場への出入りや信号待ちまで加えると、実際には1時間近くが「移動」のために消えてしまうこともあります。
もちろん、「車で20分くらい大したことはない」と感じる人も多いでしょう。実際、地方ではその感覚が当たり前になっています。しかし、東京で数年間生活した身からすると、その40分があればヴァイオリンの練習もできますし、本も数十ページ読めます。ランニングに出かけることもできますし、昼寝をして体力を回復することさえできます。つまり、本来は自分のために使えた時間が、純粋な移動だけに消費されているわけです。
経済学では、ある行動を選択したことによって失われる別の価値を「機会費用」と呼びます。地方都市の移動は、まさにこの機会費用の問題ではないでしょうか。ガソリン代や車の維持費だけではありません。最も大きなコストは、お金ではなく時間なのです。
しかも、この時間の損失は日々少しずつ積み重なります。買い物へ行く、役所へ行く、病院へ行く、趣味を楽しむ。そのたびに20分、30分という移動時間が発生します。一回だけなら気にならなくても、一年単位で積み上げれば数十時間、あるいは百時間を超えることもあるでしょう。人生全体で考えれば、その差は決して小さくありません。
一方で、地方には地方ならではの価値もあります。住宅は広く、自然も豊かで、人混みに疲れることも少ないでしょう。東京では家賃の高さゆえに住空間を犠牲にしていた人も、地方ではゆとりある生活を送れるかもしれません。つまり、地方で失われるものが「時間」であるならば、得られるものは「空間」や「静けさ」なのです。
結局のところ、都市と地方のどちらが優れているという話ではありません。時間を重視するのか、空間を重視するのか。その価値観によって評価は変わります。ただ、地方への移住を考える際には、家賃や物価だけを比較していては見落としてしまう要素があります。それは、毎日の生活の中で静かに積み重なっていく「移動時間」というコストです。
東京を離れて初めて、その存在の大きさに気づきました。そして、地方で暮らすということは、車を所有することではなく、「時間との付き合い方」を都市とは別の形に切り替えることなのだと、少しずつ実感しています。
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