「安いニッポン」という言葉があります。これは5年ほど前の日経新聞の連載タイトルであり、かなり話題になりました。一言で言うと、デフレが長引いた日本は他の先進国と比較して低価格が定着し、賃金も上げられない。そんな状況でどんどん海外勢に置いてけぼりになり、一方で外国人が日本の財やサービス価格の安さに驚く、という事実をまとめたものでした。

私もニュージーランドに2023年に行ったときにいわゆる100円ショップというものを見かけました。といっても向こうでは3ドルショップ。当時1NZD=90円だったので270円ショップというわけですね。缶コーヒーが4ドルだったので、缶コーヒー1本に満たない金額で雑貨などを購入できる、というわけです。日本では缶コーヒーが140円くらいなので、現地人にしてみれば日本人が100円払うのとほぼ同じことなのでしょう。

「同じものを買っているはずなのに、なぜこれほど体感価格が違うのか?」
ニュージーランドの店頭で缶コーヒーと雑貨を見比べながら、私はそのとき、「安いニッポン」という言葉のリアルな重みを突きつけられたような気がしました。

日本で暮らしていると、100円ショップで手に入る日用品のクオリティの高さや、100円台で買える缶コーヒーの存在は「企業の努力」や「消費者へのやさしさ」として好意的に受け止められがちです。しかし、一歩海外へ足を踏み出せば、その「安さ」は日本の経済的な停滞、ひいては先進国の中での立ち位置の低下を映し出す鏡に過ぎないと思い知らされます。

現地の人々にとっての3ドル(約270円)は、日常のちょっとした買い物で気軽に支払える感覚の金額です。ニュージーランドでは最低賃金の引き上げや物価の上昇に伴い、人々の給料も上がっています。だからこそ、コーヒー1本に4ドル、雑貨に3ドルを払うことは決して特別なことではありません。物価が上がれば賃金も上がり、サービスや商品にはそれに見合った適正な価格がつく。世界ではごく当たり前の経済のサイクルが、そこにはしっかりと回っていました。

翻って、日本の現状はどうでしょうか。長年続いたデフレマインドによって、企業は「価格を上げたら客が離れる」という恐怖に縛られ、コスト削減や人件費の抑制で安さを維持してきました。消費者の側もまた、上がらない給料の中で生活を防衛するため、より安いものを求め続けてきました。その結果生まれたのが、世界から見れば異常なほど物価も賃金も低い「安いニッポン」です。

今、日本でもようやく値上げの波が押し寄せ、インフレへのシフトが話題になっています。しかし、海外のスピード感と比べれば、その変化はまだまだ緩やかです。私たちが「値上がりして大変だ」と感じている価格でさえ、外貨を稼ぐ外国人観光客から見れば「あり得ないほど安い」バーゲンセール状態に見えています。

日本製品の品質やサービスのきめ細やかさは、世界に誇れる素晴らしいものです。しかし、それを「安売り」し続けていては、働く人の豊かさにはつながりません。海外での「3ドルショップ」体験は、私たちが当たり前だと思っている「安さの価値観」を根本から見直し、適正な対価を支払って経済を循環させるフェーズに入っていることを、強く実感させる出来事でした。