浮世絵。これは版元が企画を出して、絵師が絵を描きます。その後彫師が木版を彫り、摺師が着色します。初摺りには絵師が立ち会い、200枚くらいの制作を監督して想定どおりの色調になっているかをチェックします。問題なければ流通開始。これが浮世絵の大まかな制作過程です。

普通の絵画なら自己完結可能なのですが、浮世絵は半分は工業製品でもあるのでこのように分業体制が採用されているわけですね。

ところが19世紀、フランスにいたゴッホは「芸術家たちが同じ家に暮らしながら切磋琢磨し、作品を発表しあっている」というふうに浮世絵の制作過程を誤解しています。ゴッホの勘違いなのか、伝言ゲームのごとく間違って情報が伝わったのかわかりません。しかしゴッホはこの「浮世絵の制作過程」をフランスでも再現しようとします。アルルに家を借りて、仲間を呼び寄せようとしますが誰も来ません。みんなゴッホのコミュニケーション能力を疑っていたからです。唯一、弟テオの説得に応じたのがゴーギャン。でも彼も彼で「来月行くわ」「やっぱもう1ヶ月後に行くわ」と出発を引き延ばします。ほんとうは行きたくなかったんですね。案の定、ゴーギャンとゴッホの生活は短期間で破綻してしまいます。

悲しい勘違いから始まったもっと悲しい結末。ゴッホが単に「浮世絵が好きだった」という話では終わらないと私は考えています。彼が魅了されたのは、作品そのものだけではなく、その背後にあると信じていた「芸術家共同体」の姿だったはずです。

実際の浮世絵は、版元・絵師・彫師・摺師という高度に専門化された分業によって成り立つ商業出版です。もちろん絵師と職人の間には信頼関係がありましたが、それは工房や、今で言う出版社を中心とした仕事上のネットワークであって、芸術家同士が理想を語り合いながら共同生活を送るというものではありません。

一方、ゴッホが思い描いたのは、もっとユートピア的な世界でした。南フランスの明るい陽光のもと、画家たちが一つ屋根の下で暮らし、互いに刺激し合いながら新しい芸術を生み出していく。彼がアルルの「黄色い家」に託した夢は、まさにそのような理想郷だったのです。

しかし、この理想には根本的な問題がありました。

浮世絵の分業は、それぞれが異なる専門技術を持つからこそ成立します。彫師は木版を彫る名人であり、摺師は紙や絵具の性質を知り尽くした職人です。役割が異なるから協力できるのであって、互いに競争する関係ではありません。

ところがゴッホが集めようとしたのは、全員が「画家」でした。しかも、それぞれが強烈な個性を持ち、自分だけの表現を追い求める芸術家です。同じ家に住めば自然に創造性が高まるというものではありません。むしろ制作方法も美学も生活習慣も異なる者同士が四六時中顔を合わせれば、摩擦が生じるのは当然でしょう。

ゴーギャンとの共同生活が破綻した理由は性格の不一致だけではありません。二人とも芸術に対する情熱は人一倍でしたが、その情熱の向かう方向が違いました。ゴッホは自然を前にして感情をそのまま絵に注ぎ込みたいと考えます。一方のゴーギャンは、現実を大胆に再構成し、象徴性を重視しました。互いに相手を認めつつも、自分の方法こそ正しいという確信があったため、譲歩する余地はほとんどありませんでした。

こうして見ると、ゴッホは「浮世絵」を誤解しただけではなく、「共同制作」というものの本質も取り違えていたのかもしれません。浮世絵の世界では、個人の才能は職人たちの技術と結びついて初めて一枚の作品になります。しかしゴッホは、その仕組みを画家同士の共同生活へとなぜか読み替えてしまったのです。

もちろん、この誤解を笑うことはできません。歴史を振り返れば、異文化への誤解から新しい文化が生まれた例は少なくないからです。ジャポニスムそのものが、西洋人による日本美術の「読み替え」の歴史でもありました。ゴッホのアルルでの挑戦は失敗に終わりましたが、その夢は後世に「芸術家が共同体をつくる」という発想を残しました。バウハウスをはじめ、20世紀の芸術運動には、多かれ少なかれその理想を思わせる試みが見られます。

つまり、ゴッホは浮世絵を正確には理解していませんでした。しかし、その誤読から生まれた理想は、結果として西洋美術史の一つの方向性を切り開いたとも言えるのです(本人はそんなつもりはなかったと思うが)。芸術史とは、ときに正しい理解だけではなく、謎の「勘違い」によっても前へ進んでいくのでしょう。