美術館で宗教画を見ていると、「これは何を描いた作品なの?」と立ち止まることがあります。ギリシャ神話ならまだしも、キリスト教の聖人となると日本人にはなじみが薄く、ただ美しい女性が描かれているようにしか見えないことも少なくありません。というわけで大抵の人は素通りして終わります。ちょっと勿体ない気がしますが。
国立西洋美術館が所蔵するシモン・ヴーエに帰属される「アレクサンドリアの聖カタリナ」も、まさにそうした一枚です。黒い背景から若い女性が柔らかな光を受けて浮かび上がります。豪華な衣装に身を包み、その表情にはどこか静かな気高さがあります。画面の片隅には大きな車輪が描かれ、彼女は一本の棕櫚の枝を手にしています。
この女性は四世紀初頭の聖女カタリナです。エジプトのアレクサンドリア王家の出身で、学識と美貌を兼ね備えた人物と伝えられています。ローマ皇帝から改宗を迫られても信仰を曲げず、多くの哲学者との論争にも勝利した末、殉教したとされます。車輪は彼女の処刑に使われるはずだった拷問具、棕櫚の枝は殉教者の勝利を意味する、宗教画ではおなじみのシンボルです。こうした約束事を知るだけで、ただの肖像画に見えていた作品が、突然物語を語り始めます。
しかし、この作品の魅力は物語だけではありません。私が惹かれるのは、画面全体を包む不思議な静けさです。殉教を目前にした人物であるにもかかわらず、苦悩や恐怖はほとんど感じられません。むしろ、すべてを受け入れた人だけが持つような穏やかさがあります。バロック絵画らしい明暗の対比は強いのですが、それが劇的な演出というより、人物の内面を照らし出すために使われているように思えるのです。
私は美術館では、作品の前で長々と解説を読むよりも、まず黙って絵を見ることにしています。何を感じるかは人それぞれですし、知識はあとから補えばよいと思っています。この作品も最初は「美しい女性像だな」という程度の印象でした。しかし聖カタリナの生涯を検索して調べてみたあとに改めて眺めると、その落ち着いた眼差しがまったく違って見えてきました。知識は鑑賞の邪魔をするどころか、絵の奥行きを何倍にも広げてくれるのです。
そして、この作品にはもう一つの「神秘」があります。それは作者です。現在はシモン・ヴーエに帰属ということにされていますが、美術史とは常に研究が進み続ける学問であり、作者の特定も絶対ではありません。一枚の絵が何百年もの間、人から人へ渡り歩き、その評価が変わり続けるという歴史そのものにも、私は強いロマンを感じます。作品は完成した瞬間に歴史を終えるのではなく、何世紀にもわたって新しい物語を書き続けているのです。実際問題、時代によって「これはゴッホの作品だ!」とされていたのが、じつは贋作でした、研究が進んで発覚しました、ということがあるのです・・・。大枚はたいてオークションで落札した名作が贋作だったなんて、辛すぎます。
国立西洋美術館が所蔵するシモン・ヴーエに帰属される「アレクサンドリアの聖カタリナ」も、まさにそうした一枚です。黒い背景から若い女性が柔らかな光を受けて浮かび上がります。豪華な衣装に身を包み、その表情にはどこか静かな気高さがあります。画面の片隅には大きな車輪が描かれ、彼女は一本の棕櫚の枝を手にしています。
この女性は四世紀初頭の聖女カタリナです。エジプトのアレクサンドリア王家の出身で、学識と美貌を兼ね備えた人物と伝えられています。ローマ皇帝から改宗を迫られても信仰を曲げず、多くの哲学者との論争にも勝利した末、殉教したとされます。車輪は彼女の処刑に使われるはずだった拷問具、棕櫚の枝は殉教者の勝利を意味する、宗教画ではおなじみのシンボルです。こうした約束事を知るだけで、ただの肖像画に見えていた作品が、突然物語を語り始めます。
しかし、この作品の魅力は物語だけではありません。私が惹かれるのは、画面全体を包む不思議な静けさです。殉教を目前にした人物であるにもかかわらず、苦悩や恐怖はほとんど感じられません。むしろ、すべてを受け入れた人だけが持つような穏やかさがあります。バロック絵画らしい明暗の対比は強いのですが、それが劇的な演出というより、人物の内面を照らし出すために使われているように思えるのです。
私は美術館では、作品の前で長々と解説を読むよりも、まず黙って絵を見ることにしています。何を感じるかは人それぞれですし、知識はあとから補えばよいと思っています。この作品も最初は「美しい女性像だな」という程度の印象でした。しかし聖カタリナの生涯を検索して調べてみたあとに改めて眺めると、その落ち着いた眼差しがまったく違って見えてきました。知識は鑑賞の邪魔をするどころか、絵の奥行きを何倍にも広げてくれるのです。
そして、この作品にはもう一つの「神秘」があります。それは作者です。現在はシモン・ヴーエに帰属ということにされていますが、美術史とは常に研究が進み続ける学問であり、作者の特定も絶対ではありません。一枚の絵が何百年もの間、人から人へ渡り歩き、その評価が変わり続けるという歴史そのものにも、私は強いロマンを感じます。作品は完成した瞬間に歴史を終えるのではなく、何世紀にもわたって新しい物語を書き続けているのです。実際問題、時代によって「これはゴッホの作品だ!」とされていたのが、じつは贋作でした、研究が進んで発覚しました、ということがあるのです・・・。大枚はたいてオークションで落札した名作が贋作だったなんて、辛すぎます。
宗教画は難しい、と敬遠する人は少なくありません。しかし一人の女性の静かな表情に目を向け、その背後にある物語へ少しだけ想像力を働かせるだけで、美術館で過ごす時間は驚くほど豊かなものになります。この「アレクサンドリアの聖カタリナ」は、そのことを改めて教えてくれる一枚だと思います。

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