「時間ができたら、あれもやろう、これもやろう」。仕事に追われているときには、誰もがそんなことを考えます。積んだままになっている本を読みたい。ヴァイオリンの練習をしたい。博物館へ出かけたい。ランニングの距離も伸ばしたい。しかし、いざまとまった時間が手に入ると、不思議なことに何もしないまま一日が終わってしまうことがあります。忙しいときほど行動できていたのに、時間があるほうがかえって何もできなくなる。この現象は、多くの人が一度は経験したことがあるのではないでしょうか。

一見すると矛盾しているようですが、人間というのは、どうやら時間がたくさんあるから活動的になるわけではないようです。むしろ、ある程度時間に制約があるほうが動きやすい生き物なのです。

仕事がある日を考えてみましょう。18時には退勤するから、その後に30分だけ本を読もうとか、夕食前にランニングへ行こうとか、自然と予定を組み立てます。そこには「この時間までに」という締め切りがあります。締め切りがあるからこそ、脳は優先順位を考え、行動を開始します。

ところが、休日や長期休暇のように一日がまるごと自由になると、「あとでやればいい」が始まります。午前中にやらなくても午後がある。午後にやらなくても夕方がある。結局、夕方になれば「今日はもういいか」となり、一日が終わってしまうのです。期限がないものは、人間の脳にとっては緊急性が低く感じられます。

さらに厄介なのは、時間があるほど選択肢も増えることです。本を読むこともできるし、映画を見ることもできる。掃除もできるし、勉強もできるし、美術館へ出かけることもできます。つまり何でもできる。しかし、何でもできるということは、何を選ぶかを決めなければならないということでもあります。選択肢が増えれば増えるほど、人は判断にエネルギーを使います。そして考えているうちに疲れてしまい、「今日は何もしなくてもいいか」という結論に落ち着いてしまうのです。

また、時間が豊富になると、一つ一つの時間の価値も下がります。試験前日の30分は非常に貴重ですが、夏休み初日の30分は「また後で取り返せる」と思ってしまいます。この「あとで取り返せる」という感覚こそが曲者です。実際には、その「あとで」はなかなかやってきません。

興味深いのは、人間はやる気が出たから動くのではなく、動き始めたからやる気が出るという点です。多くの人は「やる気が出たら始めよう」と考えますが、実際には最初の5分だけでも始めてしまえば、案外そのまま続いてしまうものです。ところが、自由時間が多すぎると、その最初の一歩を踏み出すきっかけがありません。その結果、やる気も生まれないまま一日が終わります。

忙しい人ほどよく動くのも、この延長線上にあります。仕事を終え、その足でジムへ向かい、帰りに買い物を済ませる。ひとつ行動すると、その勢いで次の行動も始めやすくなります。逆に、一日中家にいると、その最初の一歩を踏み出すまでの心理的なハードルが高くなってしまいます。

退職後に急に生活のリズムを失ってしまう人や、長期休暇になるとかえって何も手につかなくなる人がいるのも、こうした人間の性質を考えれば、それほど不思議なことではありません。自由が増えたこと自体が原因なのではなく、生活から「時間の区切り」が失われたことが大きいのでしょう。

だから私は、時間がある日ほど、あえて予定を決めてしまったほうがよいのではないかと思っています。「午前9時から読書」「午後2時から30分だけランニング」というように、自分で締め切りを作ってしまうのです。すると脳は、それを本当の予定として認識し始めます。

私たちは、自由な時間が増えれば幸せになれると思いがちです。しかし実際には、自由が多すぎるとかえって身動きが取れなくなることがあります。人間に必要なのは、無限の自由ではありません。適度な制約と、行動を後押ししてくれる小さな締め切りなのです。そのほうが結果として一日を充実して過ごせるというのは、何とも人間らしい皮肉ではないでしょうか。