東京にはたくさんの美術館があります。いちいち名前を挙げる必要もないほどたくさんあって、毎月のごとく様々な展覧会が開催されています。ゴッホ展だとかモネ展だとかルーベンス展だとか・・・。円安物価高が影響しているのでしょうか、以前は1,800円くらいで入場できていたような展覧会も2,000円を超える金額になっていることは珍しいものではなくなりました。ただ、映画料金よりも高いということであれば、おこづかいに余裕がある人じゃないと足が遠のいてしまうんじゃないかと余計な心配をしてしまいます。
ただ私がここで気にしているのは、展覧会でやってきた1枚の絵。おそらくこれを見るのは最初で最後でしょう。本物がロンドンとかミュンヘンにあるのなら、その街に行かなければなりませんが、1ユーロ185円とかいう無茶苦茶なレート(2026年夏時点)の今、それも非現実的です。経済成長の具合といい、為替レートといい、労働者の賃金の伸びといい、30年前と比べると欧米に完全に差を付けられてしまいました。普通に考えて絶対に追いつけません。
話を戻します。私がたびたび特定の美術館に通って思うのは、「その絵の魅力を体感しようとするなら、ある程度時間をかけて複数回見なければわからない」ということです。例えば上野の国立西洋美術館にはフラゴナールとかユベール・ロベールの作品が展示されています。あるときは、全体像をなんとなく見る。別の時に、細かい部分を見る。また別の時に、細かい部分と全体像がどう噛み合っているかを見る。こういうのは1度だけの鑑賞では不可能なのです。
例えば、最初は「きれいな絵だな」と思うだけで終わります。ところが2回目に見ると、背景の細かな描き込みが気になってきます。3回目には、人物の視線や手の動きが画面全体の構成とどう結び付いているのかが見えてきます。そして4回目、5回目になると、それまで何気なく見過ごしていた部分が急に意味を持って見えてくることがあります。
これは音楽でも同じではないでしょうか。初めて聴いた交響曲を一度で理解することはまずありません。何度も聴くうちに、「ここでこの旋律が戻ってくるのか」とか、「この和声はこういう効果を狙っているのか」といったことが少しずつ分かるようになります。絵画も、それに近いものがあるように思います。
そう考えると、私にとって本当にありがたい存在だったのは企画展よりも常設展でした。気が向いた日に立ち寄って、お気に入りの作品を1枚だけ眺めて帰る。それを何年も繰り返すことができます。今日は全体を眺め、次は細部を観察し、その次は構図を意識してみる。同じ作品なのに、そのたびに新しい発見があります。
東京には、そのような楽しみ方ができる美術館が数多くありました。仕事帰りにふらっと立ち寄ることもできますし、休日に2時間ほどかけて数点の作品だけをじっくり眺めることもできます(やったことはないが)。今になって振り返ると、それは実に贅沢な環境だったのだと思います。
だからこそ、東京を離れる今になって少し惜しい気持ちがあります。企画展は「一期一会」の出会いですが、常設展の作品とは何年も付き合うことができます。その積み重ねの中で初めて見えてくるものがある。そのことを知ることができただけでも、東京で暮らした20年には大きな意味があったように思うのです。
これは音楽でも同じではないでしょうか。初めて聴いた交響曲を一度で理解することはまずありません。何度も聴くうちに、「ここでこの旋律が戻ってくるのか」とか、「この和声はこういう効果を狙っているのか」といったことが少しずつ分かるようになります。絵画も、それに近いものがあるように思います。
そう考えると、私にとって本当にありがたい存在だったのは企画展よりも常設展でした。気が向いた日に立ち寄って、お気に入りの作品を1枚だけ眺めて帰る。それを何年も繰り返すことができます。今日は全体を眺め、次は細部を観察し、その次は構図を意識してみる。同じ作品なのに、そのたびに新しい発見があります。
東京には、そのような楽しみ方ができる美術館が数多くありました。仕事帰りにふらっと立ち寄ることもできますし、休日に2時間ほどかけて数点の作品だけをじっくり眺めることもできます(やったことはないが)。今になって振り返ると、それは実に贅沢な環境だったのだと思います。
だからこそ、東京を離れる今になって少し惜しい気持ちがあります。企画展は「一期一会」の出会いですが、常設展の作品とは何年も付き合うことができます。その積み重ねの中で初めて見えてくるものがある。そのことを知ることができただけでも、東京で暮らした20年には大きな意味があったように思うのです。
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