私はまもなく、20年ほど過ごした東京から引っ越して地元岡山に戻ります。戻ることもないだろう思っていましたが、地方都市では一度ある程度しっかりした企業から内定が出て、それを断ってしまうと二度と同じような雇用条件で内定を得ることがほとんど不可能に近いようです。その希少性に着目し、東京から岡山へ戻るという決断を下しました。
すると不思議なもので、「うーむ住みづらい」と思っていた私の住んでいたエリアが俄然キラキラし始めたのでした。私の住むエリアは葛飾北斎、歌川広重、松尾芭蕉、小林一茶らが愛した地域であり、戦後は小津安二郎がこの街をカメラに収め続けました。彼は変わりゆく戦後日本の人々の姿をこの地域を通じて描きたかったようなのです。
・・・なんていうことを「ワイ、もしかして東京を立ち去るのかな」という予感がし始めた辺りから知り始め、自分の足で街を隅々まで歩き回ることで愛着を深めていったのでした。最初は「交通量が多い。うるさい。よって暮らしづらい」と思っていました。しかし引っ越しが確定すると、俄然この街を去りがたく思うようになったのでした。
引っ越してきたばかりの頃は、じっくりと街を見る時間がありませんでした。「交通量が多い」「騒がしい」「道が狭い」。そんな表面的な印象だけで、この街を評価していたのでした。しかし、人間というものは不思議です。失う可能性が現実味を帯びた瞬間、それまで見えていなかったものが見え始めるのですから。
ある日、何の気なしに近所を歩いてみました。すると、江戸時代から続く寺社や運河、古い商店街が思いのほか残っていることに気付きました。さらに調べてみると、この一帯は葛飾北斎や歌川広重が描いた風景そのものであり、松尾芭蕉や小林一茶も歩いた土地だったのです。そんな歴史が、私が日常歩く道と重なっていたのです。
そこで自転車や徒歩で街を「開拓」しました。ガイドブックに載るような観光地だけではなく住宅街の細い路地や、橋のたもと、河川敷、公園、古びた商店街などです。何度も通るうちに、それまで単なる「生活圏」だった場所が、一つひとつ物語を持ち始めたのです。もちろん、交通量が多いことも、騒がしいことも変わりません。夏は蒸し暑く、車の通行音が気になる日もある。欠点が消えたわけではないのです。
それでも私は、この街を好きになりました。おそらく「好き」とは、欠点がなくなることではないのでしょう。長い時間をかけて、その土地が積み重ねてきた歴史や、そこで暮らした人々の記憶を知り、自分自身の思い出も重なっていく。その積み重ねが、住み心地とは別の価値を生み出すのだと思います。
だからこそ皮肉なことに、その価値に気付いたのは、ここを離れることが決まってからでした。もし岡山への転職が決まらず、このまま東京で暮らし続けていたなら、おそらく私は今でも「便利だけれど住みづらい街だな」と愚痴をこぼしながら生活していたでしょう。歴史にもそれほど興味を持たなかったかもしれません。つまり、別れは、ときとして最良のガイドになるのです。人は旅先では街をよく観察するのに、自分が暮らす街のことは案外知りません。毎日見ている景色だからこそ、見えていないものがあります。私にとって、ここ東京の下町は、まさにそういう場所でした。
岡山へ帰れば、新しい生活が始まります。しかし、この街を歩き回って知った風景や歴史は、東京を離れた後になっても、私の中で静かに生き続けるのです。
コメント