ある日ドン・キホーテで見つけたのが、PBの「本格ラガービール」。
パッケージには「大量生産・モノクロ印刷・簡易包装など徹底したコストカットにより脅威の低価格を実現」と書かれていました。たしかに、モノクロ印刷だろうがカラー印刷だろうが、包装が豪華だろうが簡素だろうがおいしさとは無関係。であれば、必要最低限のおいしさは絶対確保したうえで、おいしさとは無関係な部分のコストはバッサリカット。それはいい考えだと思います。
そもそも私たちは「1,000円」と値札に書かれていたら、素直に1,000円払ってしまいます。まあそれが普通ですよね。でも考えてみると、物の値段は、色々な要素で成り立っています。材料費、輸送費、保管料、広告宣伝費、人件費・・・。飲食店の場合は原価3割と言われており、1,000円のメニューなら300円が食材そのもののコストで、700円はお店の家賃など。
ブランドものの腕時計なんて、その時計の値段の半分はたぶん広告宣伝費でしょうね。そして「時間を知る」という時計本来の機能は1,000円のビックカメラとかで売ってるやつと遜色ありません。だから私はブランドものの腕時計を欲しいと思ったことが1日たりともありません。
結局のところ、「自分は何にお金を払っているのか」を意識することが大切なのだと思います。もちろん、広告宣伝費が悪いと言いたいわけではありません。広告があるからこそ、その商品を知ることができますし、有名ブランドには長年積み重ねてきた信頼や安心感という価値があります。高級ホテルには建物の豪華さや一流の接客という付加価値があり、高級レストランには料理だけではなく、空間やサービスを楽しむという価値があります。それらを理解したうえで購入するのであれば、何の問題もありません。
ただ、私はどうしても「本質」のほうに目が向いてしまう性格です。たとえば家電を買うときも、まず見るのは機能です。余計な装飾や派手なデザインにはほとんど興味がありません。パソコンも、外観より処理能力や耐久性を重視します。服も同じで、ブランド名より着心地や丈夫さのほうが重要です。要するに、「その製品が本来果たすべき役割」をきちんと果たしてくれれば、それで十分なのです。結果的に中国製品が自宅にあふれかえる・・・。
この考え方は、物だけではありません。仕事でも、「見栄えのよい資料」より「相手に正確に伝わる資料」のほうが価値があると思っています。役所や企業のシステムでも、派手なデザインより、迷わず使えることのほうがずっと重要です。実際には逆になっている例も少なくありません。画面はおしゃれなのに操作が分かりづらい、説明は立派なのに肝心の機能が使いにくい。そういうものを見ると、「そこじゃないだろう」と感じてしまいます。(政府のシステムはすべてにおいて落第レベル・・・。)
考えてみれば、これは一種の「コスト意識」なのかもしれません。世の中には、見栄や体裁のために支払われているお金が意外と多くあります。それ自体を否定するつもりはありません。しかし、自分にとって価値を感じない部分にまでお金を払う必要はないと思うのです。
ドン・キホーテのPBビールは、まさにその発想を正面から打ち出していました。「味とは関係ないところは徹底的に削る」。この潔さに私は妙な爽快感を覚えました。すべての商品がこうあるべきだとは思いません。美しいパッケージを眺める楽しさもありますし、ブランドを所有する満足感も立派な価値です。それを求める人がいて、市場が成り立っているのも事実です。
ただ少なくとも私は、これからも「その価格のうち、何にお金を払っているのか」を考えながら買い物をしたいと思います。安いから買うのでも、高いから買うのでもありません。本当に自分が価値を感じるものにだけ、お金を使いたい。それが結果として節約につながることもあれば、逆に高価なものを選ぶこともあるでしょう。
値札に書かれている数字だけを見るのではなく、その数字の内訳を想像してみる。そんな癖をつけるだけで、買い物は少しだけ面白くなるような気がしています。
ただ、私はどうしても「本質」のほうに目が向いてしまう性格です。たとえば家電を買うときも、まず見るのは機能です。余計な装飾や派手なデザインにはほとんど興味がありません。パソコンも、外観より処理能力や耐久性を重視します。服も同じで、ブランド名より着心地や丈夫さのほうが重要です。要するに、「その製品が本来果たすべき役割」をきちんと果たしてくれれば、それで十分なのです。結果的に中国製品が自宅にあふれかえる・・・。
この考え方は、物だけではありません。仕事でも、「見栄えのよい資料」より「相手に正確に伝わる資料」のほうが価値があると思っています。役所や企業のシステムでも、派手なデザインより、迷わず使えることのほうがずっと重要です。実際には逆になっている例も少なくありません。画面はおしゃれなのに操作が分かりづらい、説明は立派なのに肝心の機能が使いにくい。そういうものを見ると、「そこじゃないだろう」と感じてしまいます。(政府のシステムはすべてにおいて落第レベル・・・。)
考えてみれば、これは一種の「コスト意識」なのかもしれません。世の中には、見栄や体裁のために支払われているお金が意外と多くあります。それ自体を否定するつもりはありません。しかし、自分にとって価値を感じない部分にまでお金を払う必要はないと思うのです。
ドン・キホーテのPBビールは、まさにその発想を正面から打ち出していました。「味とは関係ないところは徹底的に削る」。この潔さに私は妙な爽快感を覚えました。すべての商品がこうあるべきだとは思いません。美しいパッケージを眺める楽しさもありますし、ブランドを所有する満足感も立派な価値です。それを求める人がいて、市場が成り立っているのも事実です。
ただ少なくとも私は、これからも「その価格のうち、何にお金を払っているのか」を考えながら買い物をしたいと思います。安いから買うのでも、高いから買うのでもありません。本当に自分が価値を感じるものにだけ、お金を使いたい。それが結果として節約につながることもあれば、逆に高価なものを選ぶこともあるでしょう。
値札に書かれている数字だけを見るのではなく、その数字の内訳を想像してみる。そんな癖をつけるだけで、買い物は少しだけ面白くなるような気がしています。
コメント