昔、音楽教室で知り合った60代くらいの方がいまして、その方からレコードプレーヤーとレコードを100枚譲っていただいたことがありました。レコードはソニーが80年代に販売した、クラシック全集です。マゼールとかワルターとかバーンスタインとか中村紘子とかが指揮・演奏したベートーヴェンやマーラーやショパンやヘンデルといった作品で、文字通りクラシック音楽全体を俯瞰するものでした。

なぜこの方は私にそんな大層なものを譲ってくださったのでしょう?

「仕事をやめて引退したら聴こうと思っていたけど、実際に引退してみたらあとは死ぬだけだからもういいよ」。そう言っていました。いつかやろう、退職して時間があるときにやろう、そう思っていたものの、いざそのタイミングになるとやる気がおきない。邪魔になる。そうだ、需要がありそうな人に譲ろう・・・、どうやらそういう気分になるようです。

思い出すのは、「〇〇いつやるの? 今でしょ!」という言葉。そう、やりたい時がまさに「その時」であって、あとでやろうと思っていると結局やらないのです。別の角度から言い直すと、「今を生きようよ!」ということですね。

もっとも、その方の話を聞いたとき、私は少し考えさせられました。「あとは死ぬだけだからもういいよ」という言葉は、どこか寂しさを感じさせるものです。しかし同時に、長年働き続けてきた方だからこそ実感として口にできる言葉なのかもしれません。

考えてみれば、そのクラシック全集は決して安い買い物ではなかったはずです。レコードプレーヤーまで含めれば、かなりの金額だったでしょう。おそらく若い頃や働き盛りの頃に、「退職したらゆっくり音楽を聴こう」と考えて購入されたのではないでしょうか。マーラーの長大な交響曲やオペラ、あるいはベートーヴェンの交響曲全集をじっくり味わうには時間が必要です。現役時代にはなかなか難しいので、老後の楽しみに取っておこうと考えたとしても不思議ではありません。

ところが人生というものは、なかなか思い通りにはいかないようです。退職すれば確かに自由な時間は増えます。しかし、その頃には体力や気力が若い頃と同じではなくなっています。新しいことに挑戦する意欲も、昔ほど強くないかもしれません。時間はあるのに、なぜか行動する気になれない。そんなことが実際に起こるのでしょう。

私はこの話を思い出すたびに、「いつかやろう」という言葉の危うさを感じます。旅行もそうです。コンサートもそうです。美術館巡りもそうです。そしてヴァイオリンの練習も同じです。時間ができたらやろう。退職したら始めよう。お金に余裕ができたら挑戦しよう。そう考えること自体は自然なことです。しかし、その「いつか」が本当にやって来る保証はありません。仮にやって来たとしても、そのときの自分が今と同じ情熱を持っているとは限りません。

実際、私自身も静岡や神奈川で暮らしている間、「そのうち行こう」と思いながら結局行かなかった場所がたくさんあります。一方で、「今のうちに行っておこう」と思って訪れた展覧会や演奏会は、今では大切な思い出になっています。東京を離れることが決まった今になって振り返ると、その差は決して小さくありません。

レコードを譲ってくださったその方は、単に不要になった品物を処分したかっただけなのかもしれません。しかし私は、そこにひとつの人生訓のようなものを感じます。

人生は思っているほど長くありません。そして、自分のやりたいことを実行できる期間は、人生そのものよりさらに短いのです。

だから聴きたい音楽があるなら今聴けばよいのです。行きたい場所があるなら今行けばよいのです。会いたい人がいるなら今会えばよいのです。

「いつか」は便利な言葉ですが、ときに私たちから行動する機会を奪ってしまいます。

あのとき譲っていただいたレコードは、その後何年も私の部屋で鳴り続けました。もしあの方のもとで眠ったままになっていたとしたら、それよりはずっと幸せなことだったのではないかと思います。そして私自身もまた、そのレコードから音楽だけでなく、「今を生きること」の大切さを教わったような気がするのです。