昔はオペラのCD(またはレコード)を買うと、歌詞対訳というのが付いていました。なにしろイタリア語とかドイツ語の歌詞なので、普通の日本人には絶対に何を歌っているのかわかりません。だから歌詞対訳は必須というわけです。さらには「この物語は・・・、作曲背景は・・・、見どころは」といった解説も評論家が執筆してくれていました。他にも指揮者はどうで、オーケストラは何で、歌手は・・・、といった具合に演奏者の紹介もなされていました。

しかしながら昨今ではそういうものはあまり期待できなくなりました。廉価版なら歌詞が付いていないのが当たり前。ばかりかパッケージにも「歌詞対訳つき」とも「歌詞対訳は付いておりません」とも書いていないこともあります。ネットで歌詞対訳は探してくださいということでしょうか。でもスマホで歌詞対訳は読みづらいことこのうえありません。かといってタブレット端末で見ていると、気が散ってついネットニュースとかを閲覧し始めてしまってオペラどころではなくなります。

私の自宅には100枚組のクラシック全集のソニーが発売したレコードがあります。1980年代ごろの商品でしょうか。私はこれを人から譲り受けました。解説書はハードカバーで、ウィーンやパリの紹介なども付いているという豪華なもの。こんなの、最近ではありえないですね。たぶんQRコードから読みってね、で終わりでしょう。

もちろん、時代の流れなのでしょう。CDそのものが売れなくなり、音楽配信が主流になった現在、メーカーとしても豪華な解説書にコストをかけるのは難しくなっています。利用者の側も、スマートフォンを取り出して検索すればたいていの情報は手に入ります。昔のように分厚い冊子を同封する必要性は薄れたのかもしれません。

しかし、それでも私は少し寂しい気持ちになります。なぜなら、解説書というのは単なる情報の集まりではなかったからです。

たとえばワーグナーの楽劇を聴こうとします。いきなり音楽だけを流されても、初心者には何が起こっているのかよく分かりません。そこで解説書を開きます。「この場面では主人公が苦悩している」「この動機が後の場面で再び現れる」といった説明を読みながら聴くことで、音楽の世界に入りやすくなります。歌詞対訳も同様です。歌手が情熱的に歌い上げている場面で、実は恋人への愛の告白なのか、それとも復讐の誓いなのかが分からなければ、感動の度合いも大きく変わってしまいます。

また、解説書そのものが旅への入り口でもありました。私が譲り受けたクラシック全集の解説書には、ウィーンやパリ、ミラノといった音楽都市の紹介が掲載されています。美しい劇場の写真があり、作曲家の肖像画があり、街並みの説明があります。レコードを聴きながら、いつか現地を訪れてみたいと想像を膨らませることができました。インターネットが普及する前の時代、こうした冊子は音楽と世界をつなぐ窓だったのです。

そして何より、紙の解説書には「寄り道をしない」という利点があります。スマートフォンで歌詞を検索すると、つい別の記事が目に入ります。ニュースサイトを開けば広告が表示されますし、SNSの通知が届くこともあります。気がつけばオペラのことなど忘れてしまい、まったく別の話題を眺めていることも珍しくありません。

その点、紙の冊子は実に潔いものです。そこには音楽に関することしか書かれていません。ページをめくるたびに音楽の世界へ戻ってくることができます。これは意外に大きな価値ではないでしょうか。

もちろん、昔に戻れと言うつもりはありません。配信サービスのおかげで膨大な録音を安価に楽しめるようになったのも事実です。私自身、ストリーミング配信の恩恵を受けています。

ただ、ときどき思うのです。便利さを手に入れる代わりに、私たちは音楽と向き合うための「儀式」のようなものを失ったのではないか、と。

レコードを棚から取り出し、ジャケットを眺める。解説書を開く。歌詞対訳を読みながら針を落とす。あるいはCDをプレーヤーに入れる。そうした少し面倒な手順のひとつひとつが、これから音楽を聴くのだという心の準備になっていました。だから私は今でも、中古店で昔のレコードやCDを見つけると、つい解説書の有無を確認してしまいます。音楽そのものだけでなく、その時代の文化や空気までも一緒に封じ込められているような気がするからです。

考えてみれば、これはクラシック音楽に限った話ではないのかもしれません。世の中の多くのものがデジタル化され、効率化されました。その結果、私たちは以前よりもはるかに多くの情報へアクセスできるようになりました。しかし一方で、一つの作品にじっくり向き合う時間や環境は失われつつあります。

レコード会社が豪華な解説書を付けなくなったのは、経済合理性から考えれば当然の判断でしょう。それでも昔の全集に付属していた重厚な解説書を手に取るたびに、音楽を「聴く」だけでなく「学び、味わい、想像する」文化が確かに存在していたことを実感します。そういう意味では、古いレコードやCDの解説書もまた、一種の文化遺産なのかもしれません。