2026年6月6日(土)、浜離宮朝日ホールで開催された「川畠成道グランドファミリーコンサート2026」を聴いてきました。

2002年に始まったこのシリーズは、今回でなんと25回目を迎えます。四半世紀にわたって続いてきた計算になります。第1回が開催されたのはニューヨーク同時多発テロの翌年。当時生まれた子どもたちは、いまや社会人になっています。そう考えると、このコンサートシリーズの歴史の長さをあらためて実感します。

今年のテーマはフランス音楽。フォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番を中心に、マスネ、ドビュッシー、グノーなどの作品が並ぶ、フランス音楽の魅力をたっぷり味わえるプログラムとなりました。

最初に演奏されたのはフォーレの「シシリエンヌ」です。

フランス音楽らしい、どこか輪郭の定まらない柔らかな響きがホールを満たしていきます。ドイツ音楽のような明快な構築性とは異なり、響きそのものが空間に溶け込んでいくような感覚があります。川畠成道さんのグァダニーニも、その音楽に寄り添うように、現実と夢の間を行き来するかのような気品を漂わせながら歌っていました。

続いて演奏されたフォーレの「ヴァイオリン・ソナタ第1番」は、この日の中心となる作品です。

若きフォーレの情熱があふれる名作ですが、単なるロマン派的な熱情だけではありません。優雅さと洗練された感覚が全編に息づいています。第1楽章の躍動感ある旋律、第2楽章の軽やかで洒落た雰囲気、第3楽章の深い抒情、そして終楽章の力強い推進力。それぞれの個性が鮮やかに描き分けられていました。

川畠さんの演奏は感情を過度に誇張することなく、作品本来の美しさを丁寧に引き出していたように感じます。特に高音域の透明感は見事で、まるで光が差し込むような響きが印象的でした。

休憩後は小品を中心としたプログラムです。

まずはマスネの「タイスの瞑想曲」。

あまりにも有名な作品ですが、それだけに演奏者の個性が表れやすい曲でもあります。川畠さんは甘美さを前面に押し出すのではなく、一音一音を慈しむように奏でていました。そのため、この作品が持つ祈りにも似た静けさが強く感じられました。

続いて演奏されたドビュッシーの「ゴリウォーグのケークウォーク」では、一転して軽妙な世界が広がります。ジャズやラグタイムの影響を感じさせるリズミカルな作品で、演奏にも遊び心があふれていました。客席の空気も自然と和らぎ、思わず微笑みたくなるようなひとときでした。

シューマンの「トロイメライ」は、まるで幼い頃の夢を思い出させるような作品です。派手さはありませんが、その素朴な美しさが心に染み入ります。短い曲ながら、静かな余韻を残してくれました。

そしてグノーの「アヴェ・マリア」。この曲は川畠成道さんにとって特別な意味を持つ作品ではないでしょうか。8歳のとき、アメリカで予期せずして試練に見舞われながらも、多くの人々の支えを受けて音楽家としての道を歩み続けてきました。その人生を知っているだけに、この曲には単なる宗教曲を超えた重みを感じます。

演奏が始まると、客席は水を打ったような静けさに包まれました。音楽は音だけで成り立つものではありません。沈黙もまた音楽の一部です。この演奏では、そのことをあらためて実感しました。

プログラム最後はサラサーテの「カルメン幻想曲」。それまでの祈りにも似た雰囲気を吹き飛ばすような情熱的な作品です。華麗な超絶技巧が次々と繰り出されますが、技巧を誇示するのではなく、あくまで音楽として聴かせてくれるところに川畠さんらしさを感じました。スペインの熱気と色彩感に満ちた見事な演奏でした。

アンコールはフォーレの「夢のあとに」、そしてドビュッシーの「月の光」。

どちらも夜の静けさを思わせる美しい作品です。特に「月の光」が終わったあとのホールには、都会の真ん中とは思えないほど穏やかな時間が流れていました。

25回という節目を迎えたグランドファミリーコンサート。四半世紀という歳月は決して短くありません。しかし、この日の演奏を聴いていると、このシリーズが長く愛され続けてきた理由がよくわかります。

そこにあるのは華やかな技巧の披露でもなく、難解な解釈でもありません。演奏者と聴衆が音楽を通じて同じ時間を共有する喜びです。その原点を大切にしてきたからこそ、このコンサートは25回もの歴史を重ねることができたのでしょう。私はまもなく引っ越しをする可能性があり、次に川畠成道さんのコンサートに行けるのはいつなのか分からなくなってきました。それだけに、本日のこのコンサートはとても貴重なひとときになりました。