ヴァイオリンの曲を演奏するためには楽譜が必要。これは当たり前。フランクだろうがモーツァルトだろうがヴァイオリン・ソナタを弾こうとしたらまず楽譜を買ってくることになります。作品によってはヘンレ、ベーレンライター、全音楽譜出版社など複数の出版社から発売されていることがあります。
大抵の人は、「だったら一番安いやつでいいや」という発想になりがちです。でも本当は先生に「どの出版社がいいですか?」と相談して、推薦されたやつを買ったほうがいいですね。私の場合、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを演奏するときは「ヘンレにしなさい」と指定されましたのでそれにしておきました。
さらに、ピアニストが持っている楽譜と出版社が違うとリハーサルのときに話がいまいち噛み合わなくなることもあります。こういうのも考慮したほうが良さそうですね。
それとは別に、世の中には使いづらい楽譜というものが一定数存在します。なんでこんなことに、と思うような使いづらさなのです。
私の経験から語ると、例えば全音楽譜出版社から出ているブラームスのヴァイオリン・ソナタ。なんと、フレーズの途中でページをめくる設計になっています。おいおい、めくってたら弾けないし弾いてたらめくれないだろ。弾く人の都合をまったく考慮していないのがミエミエ。一体なんぜこんな編集にしたのか・・・。
さらに厄介なのは、「楽譜のレイアウト問題」は演奏者にとって単なるストレスでは済まない、という点です。場合によっては演奏そのものの質に直結します。
例えばヴァイオリンという楽器は、ただ音程を取ればよいわけではありません。どこで弓を返すか、どこで呼吸するか、どこへ向かってフレーズを作るか、そういう“流れ”の中で音楽を構築していきます。ところが、ページをめくる位置が最悪だと、その流れが物理的に寸断されてしまうのです。
特にブラームスのような作曲家は危険です。あの人の音楽、延々と息の長いフレーズが続きますよね。ようやく盛り上がってきたところで、
「はい、ここでページをめくってください」
と言われても無理でしょう。
しかも、ヴァイオリン奏者は基本的に片手が完全に塞がっています。ピアノならまだ両手を一瞬離してめくる技術がありますが、ヴァイオリンは左手で指板を押さえ、右手で弓を持っている。つまり空いている手という概念が存在しない。結果として、気合いでめくる(無理)、譜めくりを頼む、コピーして貼る、暗譜する、などの力技が必要になってきます。
ここまで来ると、「楽譜とは何か」という哲学的な問題にすら思えてきます。
出版社によっては、校訂の正確性や学術的価値を極限まで追求する一方で、「実際に演奏する人間」の存在がどこか希薄に感じられることがあります。もちろん原典版は重要です。ベートーヴェンが何を書いたのか、ブラームスがどのスラーを意図したのか、それを知ることは極めて大事。
しかし現場では、「今ここでめくれない」という問題のほうが圧倒的に切実です。
逆に、演奏者目線で非常によく出来ている楽譜に出会うと感動します。ページの切れ目が自然。譜めくりのタイミングが考え抜かれている。音符の配置が見やすい。運指やボウイングも過剰ではない。こういう楽譜を使うと、「あ、この出版社、ちゃんと弾いた人が編集しているな」と分かります。
結局のところ、楽譜というのは単なる紙に印刷された音符ではないのでしょう。
演奏者と作曲家をつなぐインターフェースであり、ある意味では楽器の一部ですらある。だから本来、「安いからこれでいいや」で選んでしまうには、あまりにも演奏への影響が大きい。
もちろん学生時代はお金もないので、安い版を買いたくなる気持ちは非常によく分かります。実際、私もそうでした。しかし年数を重ねるにつれ、「良い楽譜は練習時間そのものを節約してくれる」という感覚が出てきます。
少なくとも、ブラームスのフレーズの途中で「はい、ここでページをめくれ」は勘弁してほしいのです・・・。
例えばヴァイオリンという楽器は、ただ音程を取ればよいわけではありません。どこで弓を返すか、どこで呼吸するか、どこへ向かってフレーズを作るか、そういう“流れ”の中で音楽を構築していきます。ところが、ページをめくる位置が最悪だと、その流れが物理的に寸断されてしまうのです。
特にブラームスのような作曲家は危険です。あの人の音楽、延々と息の長いフレーズが続きますよね。ようやく盛り上がってきたところで、
「はい、ここでページをめくってください」
と言われても無理でしょう。
しかも、ヴァイオリン奏者は基本的に片手が完全に塞がっています。ピアノならまだ両手を一瞬離してめくる技術がありますが、ヴァイオリンは左手で指板を押さえ、右手で弓を持っている。つまり空いている手という概念が存在しない。結果として、気合いでめくる(無理)、譜めくりを頼む、コピーして貼る、暗譜する、などの力技が必要になってきます。
ここまで来ると、「楽譜とは何か」という哲学的な問題にすら思えてきます。
出版社によっては、校訂の正確性や学術的価値を極限まで追求する一方で、「実際に演奏する人間」の存在がどこか希薄に感じられることがあります。もちろん原典版は重要です。ベートーヴェンが何を書いたのか、ブラームスがどのスラーを意図したのか、それを知ることは極めて大事。
しかし現場では、「今ここでめくれない」という問題のほうが圧倒的に切実です。
逆に、演奏者目線で非常によく出来ている楽譜に出会うと感動します。ページの切れ目が自然。譜めくりのタイミングが考え抜かれている。音符の配置が見やすい。運指やボウイングも過剰ではない。こういう楽譜を使うと、「あ、この出版社、ちゃんと弾いた人が編集しているな」と分かります。
結局のところ、楽譜というのは単なる紙に印刷された音符ではないのでしょう。
演奏者と作曲家をつなぐインターフェースであり、ある意味では楽器の一部ですらある。だから本来、「安いからこれでいいや」で選んでしまうには、あまりにも演奏への影響が大きい。
もちろん学生時代はお金もないので、安い版を買いたくなる気持ちは非常によく分かります。実際、私もそうでした。しかし年数を重ねるにつれ、「良い楽譜は練習時間そのものを節約してくれる」という感覚が出てきます。
少なくとも、ブラームスのフレーズの途中で「はい、ここでページをめくれ」は勘弁してほしいのです・・・。
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