時折、PCの買い替えって無意味なんじゃないか? という気持ちに襲われます。広告を見ていると、CPUが、グラフィックボードが、メモリが、OSが・・・、といろいろ書かれています。売りたい側が売ろうとして書いているわけですから、読んでいるとなんとなく生活が向上するかのように思えてしまいます。
でもそうでしょうか? 私の場合は、Windows XPだったころからやっているPC作業ってほとんど変わっていません。ネット、メールが主でWordやExcelをたまに使う程度。せいぜいYouTubeなどの動画を見るのがXP時代からの違いですが、でもWindows 7でもそれは普通にやっていたことです。Windows 10, 11になっても同じことをやっています。
つまりPCが変わってもやることはほとんど同じ。ということは無理して買い替えるメリットが見つかりにくいということです。だったら買い替えなくていいや。動作が重くなるまでこのままでいいや。そういうことになってしまうのでした。
もちろん、動画編集をする人や、3Dゲームを遊ぶ人、AI画像生成をする人などにとっては、PCの性能は重要なのでしょう。CPUが速い、メモリが大きい、グラフィックボードが強力だ、というのは実際に作業時間へ直結します。仕事道具として使うなら、性能向上はそのまま利益にもつながります。
しかし、世の中の人全員がそんな使い方をしているわけではありません。
私のように、「ネットを見る」「文章を書く」「たまに表計算を触る」「動画を見る」という程度の用途であれば、正直なところ、10年前のPCでも案外困らないのです。
むしろ近年は、PCの性能よりも通信回線の速度や、Webサービス側の仕様のほうが体感に影響している気さえします。YouTubeが重いのは回線の問題だったりしますし、ブラウザがもたつくのはサイト側が広告やスクリプトを大量に読み込んでいるせいだったりもします。昔よりCPUが何倍も速くなったはずなのに、なぜか劇的に快適になった感じがしないのは、そのためなのかもしれません。
思えば、Windows XPのころは、PCの進化がもっとわかりやすいものでした。
起動時間が短くなった。動画が滑らかになった。重いソフトが動くようになった。性能向上がそのまま「できることの増加」につながっていた時代だったと思います。
しかし今は違います。
ネット閲覧もOffice作業も、すでに成熟しきってしまいました。文字入力の速度がCPU性能によって劇的に変わるわけではありませんし、Excelの表計算も、一般的な用途なら昔のPCで十分動いてしまいます。
だから最近のPC広告を見ていると、ときどき不思議な気持ちになります。「AI対応!」「最新CPU搭載!」「NPU内蔵!」と派手な言葉が並びますが、それで自分の生活がどれほど変わるのかが見えにくいのです。
もちろん、新しいPCにも意味はあります。静かだったり、省電力だったり、軽かったり、SSDのおかげで起動が速かったりする。それらは確かに快適さです。
ただ、その快適さは、昔のような「世界が変わる」レベルではなくなりました。
例えるなら、かつてのPC進化は「自転車から自動車になる」ほどの衝撃でした。しかし今は、「高級車からさらに高級車になる」くらいの差に近い気がします。確かに良くなっています。ですが、日常用途では決定的な違いには感じにくいのです。
だから私は、PCが壊れる直前まで使い続ける人の気持ちがよくわかります。
不満がないのに買い替える理由を探そうとすると、「なんとなく新しいから」しか残らなくなります。そしてその「なんとなく」を作り出すために、メーカーも広告も、次々と新しい専門用語を投入してくるのでしょう。
けれど結局のところ、多くの人にとってPCとは、かつての「夢の機械」ではなく、冷蔵庫や電子レンジに近い存在になったのではないでしょうか。
普通に動けば、それで十分。
そんな時代に入っているのかもしれません。(だから次に買うやつは中古のレッツノートで良いやと思っています。)
しかし、世の中の人全員がそんな使い方をしているわけではありません。
私のように、「ネットを見る」「文章を書く」「たまに表計算を触る」「動画を見る」という程度の用途であれば、正直なところ、10年前のPCでも案外困らないのです。
むしろ近年は、PCの性能よりも通信回線の速度や、Webサービス側の仕様のほうが体感に影響している気さえします。YouTubeが重いのは回線の問題だったりしますし、ブラウザがもたつくのはサイト側が広告やスクリプトを大量に読み込んでいるせいだったりもします。昔よりCPUが何倍も速くなったはずなのに、なぜか劇的に快適になった感じがしないのは、そのためなのかもしれません。
思えば、Windows XPのころは、PCの進化がもっとわかりやすいものでした。
起動時間が短くなった。動画が滑らかになった。重いソフトが動くようになった。性能向上がそのまま「できることの増加」につながっていた時代だったと思います。
しかし今は違います。
ネット閲覧もOffice作業も、すでに成熟しきってしまいました。文字入力の速度がCPU性能によって劇的に変わるわけではありませんし、Excelの表計算も、一般的な用途なら昔のPCで十分動いてしまいます。
だから最近のPC広告を見ていると、ときどき不思議な気持ちになります。「AI対応!」「最新CPU搭載!」「NPU内蔵!」と派手な言葉が並びますが、それで自分の生活がどれほど変わるのかが見えにくいのです。
もちろん、新しいPCにも意味はあります。静かだったり、省電力だったり、軽かったり、SSDのおかげで起動が速かったりする。それらは確かに快適さです。
ただ、その快適さは、昔のような「世界が変わる」レベルではなくなりました。
例えるなら、かつてのPC進化は「自転車から自動車になる」ほどの衝撃でした。しかし今は、「高級車からさらに高級車になる」くらいの差に近い気がします。確かに良くなっています。ですが、日常用途では決定的な違いには感じにくいのです。
だから私は、PCが壊れる直前まで使い続ける人の気持ちがよくわかります。
不満がないのに買い替える理由を探そうとすると、「なんとなく新しいから」しか残らなくなります。そしてその「なんとなく」を作り出すために、メーカーも広告も、次々と新しい専門用語を投入してくるのでしょう。
けれど結局のところ、多くの人にとってPCとは、かつての「夢の機械」ではなく、冷蔵庫や電子レンジに近い存在になったのではないでしょうか。
普通に動けば、それで十分。
そんな時代に入っているのかもしれません。(だから次に買うやつは中古のレッツノートで良いやと思っています。)
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