ヴァイオリン協奏曲というのはバロックから現代まで様々な作品があります。ヴィヴァルディやバッハ、モーツァルト。20世紀もヴォーン・ウィリアムズとかストラヴィンスキーたちが優れた作品を残しています。
ところが、オーケストラのコンサートプログラムに採用されるヴァイオリン協奏曲というと、なぜかいつもワンパターンなのです。メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ブラームス、シベリウス。あとはせいぜいベートーヴェンとブルッフ。有名なモーツァルトはあまり見かけませんし、ハイドンになると実演で聴いたことがない人のほうが多いのではないでしょうか。
そうなると、ストラヴィンスキーとかショスタコーヴィチ、シマノフスキ、コルンゴルトといった20世紀作品はCDで聴いたことがあるが、実演で聴くのは一生に数回、ということになってしまいます。なぜこんなに偏りがあるのか? 富裕層がますます富裕層になっていくのと同じで有名な作品だからますます有名になっていくのでしょうか?
クラシック音楽の世界は、しばしば「保守的だ」と言われます。もちろんそれには理由があります。オーケストラの定期演奏会というのは、単なる芸術活動ではなく、巨大な興行でもあるからです。数十人から百人近い演奏家を集め、ホールを押さえ、リハーサルを行い、チケットを販売する。そのためには「集客できる曲」がどうしても必要になります。
ここで圧倒的に有利なのが、すでに名曲として地位を確立したヴァイオリン協奏曲です。メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ブラームス、シベリウス。このあたりは、クラシックに詳しくない人でも名前くらいは聞いたことがありますし、「あの有名な旋律」を期待して来場する人も少なくありません。オーケストラ側から見れば、これらはある種の安全牌なのです。
さらに興味深いのは、ヴァイオリニスト自身もまた、この循環を強化していることです。若手ソリストは国際コンクールで評価されるために定番協奏曲を徹底的に弾き込みます。すると演奏機会も自然とその曲に集中する。オーケストラ側も「この人ならシベリウスが安心だ」と考える。結果として、同じ作品が繰り返しプログラムに載り続けるわけです。
一方で、20世紀の協奏曲は事情が異なります。ストラヴィンスキーやショスタコーヴィチ、シマノフスキ、コルンゴルトなどには、間違いなく傑作があります。しかし、これらは聴衆にとって旋律や構造が直感的ではなく、初めて聴くと戸惑いやすい。しかも演奏側にも高度な技術や特殊なアンサンブル感覚を要求することが多いのです。つまり「練習コストが高い割に、客入りが読みにくい」という問題がある。
特に日本では、定期会員制度を採用しているオーケストラが多く、「今月はブラームスだから行こう」という固定客によって支えられている側面があります。そのため、プログラム編成もどうしても保守的になりやすい。未知の作品を並べるより、有名曲を核に据えたほうが経営的に安定するのです。
ただ、これは必ずしも悪いことばかりではありません。同じ曲が繰り返し演奏されるからこそ、演奏解釈が磨かれ、聴き手も違いを楽しめるようになる。チャイコフスキーの協奏曲ひとつ取っても、奏者によってまるで別の作品のように響くことがあります。名曲が名曲として生き残るには、それだけの理由があるのです。
とはいえ、クラシック音楽の魅力は本来、未知の作品との出会いにもあります。CDでは知っているのに、生で聴く機会がほとんどない協奏曲が数多く存在するというのは、少しもったいない話でもあります。もしオーケストラが、定番作品の合間にもう少し冒険を織り交ぜてくれたなら、聴衆の側も「知らない曲を聴きに行く楽しさ」を再発見できるのかもしれません。
ここで圧倒的に有利なのが、すでに名曲として地位を確立したヴァイオリン協奏曲です。メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ブラームス、シベリウス。このあたりは、クラシックに詳しくない人でも名前くらいは聞いたことがありますし、「あの有名な旋律」を期待して来場する人も少なくありません。オーケストラ側から見れば、これらはある種の安全牌なのです。
さらに興味深いのは、ヴァイオリニスト自身もまた、この循環を強化していることです。若手ソリストは国際コンクールで評価されるために定番協奏曲を徹底的に弾き込みます。すると演奏機会も自然とその曲に集中する。オーケストラ側も「この人ならシベリウスが安心だ」と考える。結果として、同じ作品が繰り返しプログラムに載り続けるわけです。
一方で、20世紀の協奏曲は事情が異なります。ストラヴィンスキーやショスタコーヴィチ、シマノフスキ、コルンゴルトなどには、間違いなく傑作があります。しかし、これらは聴衆にとって旋律や構造が直感的ではなく、初めて聴くと戸惑いやすい。しかも演奏側にも高度な技術や特殊なアンサンブル感覚を要求することが多いのです。つまり「練習コストが高い割に、客入りが読みにくい」という問題がある。
特に日本では、定期会員制度を採用しているオーケストラが多く、「今月はブラームスだから行こう」という固定客によって支えられている側面があります。そのため、プログラム編成もどうしても保守的になりやすい。未知の作品を並べるより、有名曲を核に据えたほうが経営的に安定するのです。
ただ、これは必ずしも悪いことばかりではありません。同じ曲が繰り返し演奏されるからこそ、演奏解釈が磨かれ、聴き手も違いを楽しめるようになる。チャイコフスキーの協奏曲ひとつ取っても、奏者によってまるで別の作品のように響くことがあります。名曲が名曲として生き残るには、それだけの理由があるのです。
とはいえ、クラシック音楽の魅力は本来、未知の作品との出会いにもあります。CDでは知っているのに、生で聴く機会がほとんどない協奏曲が数多く存在するというのは、少しもったいない話でもあります。もしオーケストラが、定番作品の合間にもう少し冒険を織り交ぜてくれたなら、聴衆の側も「知らない曲を聴きに行く楽しさ」を再発見できるのかもしれません。
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