曲がりなりにも複数回フルマラソンを完走したことがあります。だから体力が充実しているといっても間違いではありません。なにしろ30km地点を過ぎたあたりからの股関節や膝の痛み、前に進もうとしても全然進まない地獄、それでも進まなければならないという苦悶、これは筆舌に尽くしがたいものがあります。一体なんでこんな大会にエントリーしたんだろうという後悔。そしてゴールにたどり着いたときの嬉しさ。結局、その嬉しさを味わいたいからエントリーするんですね。マゾヒスト・・・。

というわけで体力があるはずなのに、なぜか電車で1時間くらい移動するととても疲弊します。とくに1時間のうちに2~3回乗り換えるとなると疲労感は一気に増えます。同じ駅なのに微妙に離れていて乗り換えしづらかったり、階段を何回も昇り降りする羽目になったり、大江戸線みたいにやけに深い場所にあったり、初めての乗り換えでいまいちルートが分からなかったりするととても疲れます。体力はあるはずなのに一体なぜ・・・。

考えてみると、フルマラソンの「疲れ」と、都市の移動で感じる「疲れ」は、似ているようでいて全然別物なのかもしれません。

マラソンの場合、苦しいのは苦しいのですが、やるべきことは意外と単純です。前に進む。ただそれだけ。コースも決まっているし、信号もないし、誰かに急かされることもない。極端な話、「次の一歩」を繰り返していればいつかゴールに着きます。苦痛は大きいのですが、構造はシンプルなのです。

一方で都市の移動というのは、脳みそを絶えず細かく働かせ続けなければなりません。

何番線に乗るのか。快速は止まるのか。次の乗り換えはどちら側のドアが開くのか。混雑を避けるにはどの車両に乗るべきか。遅延はしていないか。スマホで地図を見ながら歩いているうちに人の流れにぶつかり、気づけばエスカレーターの列が妙に長い。しかも東京の駅というのは、どうしてあんなに「人間を迷わせる構造」をしているのかと思うほど複雑です。

新宿駅など典型ですが、あれはもう駅というより地下都市です。地上へ出たと思ったらまだ地下だった、みたいなことが普通に起きます。東京駅もなかなかのもので、丸の内側と八重洲側を間違えると、軽い遠征になります。大手町駅に至っては「同じ駅」という概念を疑いたくなる広さです。

つまり、電車移動で消耗するのは、筋肉ではなく神経なのだと思います。

しかも都市生活では、この「小さな判断」が延々と積み重なります。マラソンでいえば、42.195kmの間ずっと「次は右に行くべきか左に行くべきか」を考え続けさせられるようなものです。そりゃ疲れます。

さらに厄介なのは、移動の疲労というのは達成感に変換されにくいことです。

フルマラソンにはゴールがあります。完走メダルもあります。沿道の声援もあります。しかし通勤や乗り換えにはそれがない。目的地に着いても「おめでとうございます!」とは誰も言ってくれません。ただ「はい次、仕事です」という現実が待っているだけです。

だから、移動だけでぐったりするのは別に不思議なことではないのでしょう。

むしろ、現代の都市生活というのは、人間の脳に対してかなり過酷なのではないかと思います。地方都市なら車で15分で済む移動を、東京では人混みに揉まれながら1時間かけて行うことも珍しくありません。便利なはずなのに、便利さを維持するために人間側がかなりのエネルギーを支払っているわけですね。

そう考えると、「マラソンを完走できる体力」と「都会で消耗しない能力」は、ほとんど別スキルなのかもしれません。

42.195kmを走れる人間でも、新宿駅の乗り換えでライフを削られる。これは敗北ではなく、単に競技種目が違うだけなのです、たぶん・・・。