転職活動をしていると、自分という商品を売り込みしなければなりません。
ところがこれがなかなか難しいものです。自分の長所は何? その長所があるとどういう成果につながったの? こういうことを、相手企業が求めるように語らなければなりません。そしてセットで質問されがちなのは、あなたの短所は何か? ということ。これも「そそっかしいので計算していて一桁間違えることがたまにあります」なんていう正直言うと落ちます。「慎重でありながらも、スピード感を忘れないように仕事をしています」のように言い換えるべきでしょう。

そうやって何度も面接を受けていると、思い出す言葉があります。指揮者の秋山和慶さん。「指揮者というのも、石をダイヤモンドというくらいに自分を売り込まないと続けていけないものなのです」という言葉を残されています。石をダイヤモンドというくらいに強烈なPRをしないと、仕事が取れないんだ! という危機感を持っていたことが伺われます。

面接では、人格そのものというより、企業にとって使いやすい形に整えられた人物像が求められます。もちろん企業側からすれば当然です。採用とは投資判断に近いものだからです。問題は、その過程で本人が少しずつ疲弊していくことにあります。特に難しいのは、自分を客観視し続けなければならない点でしょう。

自分の経験を棚卸しし、数字や成果へ変換し、さらに相手企業の欲しがる形へ編集する。SE職であれば、単に開発をしていました、では弱い。何人規模の顧客を担当したのか。どのような改善を行ったのか。トラブル対応で何を工夫したのか。そうした話へ加工しなければならない。

つまり転職活動とは、経験を物語へ変換する作業でもあります。しかし現実には、人間の仕事はそんなに綺麗な成果ばかりではありません。毎日の業務の多くは地味です。問題が起きないように未然に防ぐ。期限までに淡々と処理する。関係者の板挟みになりながら調整する。そういう、数字化しづらい仕事によって組織は支えられています。

ところが面接になると、その地味さは埋もれてしまう。だから人は少し誇張する。あるいは、言葉を盛る。

慎重すぎるくらい確認しています。
周囲を巻き込みながら推進しました。
主体的に改善提案を行いました。

・・・我ながら嘘くさい。もちろん全部が嘘ではないのでしょう。しかし、どこか舞台の上のセリフめいてくる瞬間があります。面接が進むほど、自分が本当にそういう人間だったのか、わからなくなることすらある。

だからこそ秋山和慶さんの言葉は重いのです。石をダイヤモンドと言うくらいに自分を売り込まなければならない。

これは単なるハッタリ礼賛ではないと思います。むしろ、プロフェッショナルとして生きる厳しさを示しているのでしょう。どれだけ実力があっても、それが他人に伝わらなければ仕事には結びつかない。芸術家も会社員も、その点では同じなのです。

そして現代の転職市場は、ますますその傾向を強めています。職務経歴書、面接、適性検査、SNS。あらゆる場面で、人は自分という存在を説明し続けなければならない。けれど本当に難しいのは、売り込むことそのものではないのかもしれません。

・・・石をダイヤモンドと言い続けるうちに、自分でも石なのかダイヤなのかわからなくなってしまうこと。その感覚こそが、転職活動の最も消耗する部分なのではないかと思うのです・・・。