家の近くの業務スーパーに通い始めると、食費がものすごく圧縮されてしまいました。かと言っても食のクオリティが下がったわけではありません。ほとんど変わりません。かかっていた費用だけが下がっていっています。しかし思い返せば、なんで過去の自分はちょっとした夕食を買うのにコンビニを訪れてあれこれ購入して800円もかけていたのか・・・。謎すぎます。

そしてそういう日常が継続していると、飲食店にもほとんど行かなくなってしまうのです。なにしろ原価率30%という基準を知ってしまったからです。
たとえば900円のメニューがあったとします。すると原価率30%を適用すると270円という数字が出てきます。つまり原価、言い換えると食材費用は270円で、残りはスタッフ人件費や光熱費、お店の家賃など、美味しさとは無関係なところにかかっているコストだということです。

そういうところにお金が発生するなら、むしろ自分で業務スーパーで食材を買ってきて作ったほうがいいんじゃないの? ということになってしまいます。
べつにお金に困っているわけではないのですが、かといってたくさんお金があるからといって、たくさん使わなければならない、というものでもありません。厚切りジェイソンさんの節約術に影響されまくった結果、私のライフスタイルが出来上がってきたのです。

この生活が続くうちに起きた変化は、「外食をやめた」というよりも、「自炊の見え方が変わっていった」という方が近いかもしれません。

気づけば、飲食店に足を運ぶ頻度はかなり減っていました。以前は何となく入っていた定食屋やコンビニも、今では「わざわざ行く理由」を一度考えてからでないと選択肢に上がらなくなっています。原価率30%という知識が頭に残っていることもあり、外食はどうしてもコストを含んだ体験として認識されてしまうようになりました。

その結果として起きたのは、単純な節約というよりも、自炊への評価の再構築でした。

最初は「安く済むから」という理由で始めた自炊ですが、続けていくうちに、思っていた以上に多くのメリットがあることに気づきます。食材を自分で選べること、味付けを自由に調整できること、量を自分のコンディションに合わせられること。そして何より、同じ食材でも少しの工夫でまったく違う食事になるという“可変性”の面白さがあります。

業務スーパーでまとめ買いした食材をベースに、数日分の献立を組み立てていくと、むしろ外食よりも食事の自由度は高いのではないかとすら感じる瞬間があります。決められたメニューを選ぶのではなく、自分の生活リズムに合わせて食事が設計されていく感覚です。

また、自炊は単にコスト面だけでなく、生活全体のリズムを整える効果もあると感じるようになりました。買い物の頻度、在庫管理、調理の時間配分。それらが一つの小さなシステムとして機能し始めると、食事が「その場の選択」ではなく「事前に設計された習慣」に変わっていきます。

その一方で、外食の価値も別の形で見えるようになります。かつてのように「気軽に済ませる手段」ではなく、「自炊では再現できない要素を買う行為」として認識されるようになるのです。空間、接客、出来立ての一皿、そして何より考えなくていい時間。そうしたものの総体として飲食店が存在していることが、ようやく実感として理解できるようになりました。

つまり今の感覚としては、外食を否定する方向ではなく、「自炊の良さが先に見えるようになった結果、外食との距離感が自然に整理された」という状態に近いです。

安さから始まった自炊は、いつの間にか生活の基盤になり、その過程で食事に対する考え方そのものを静かに変えていきました。結果として、飲食店に行く回数は減ったものの、それは単なる節約行動ではなく、自炊という選択肢の価値を再発見した結果だったのだと思います。