「パンとサーカス」とは何ぞやというところから入ります。古代ローマ帝国にあっては、属州つまり地方都市から帝国の中心であるローマに人が集まってきました。理由はパンとサーカス。つまり飯の種と見世物があったからです。言い換えると、仕事があって、面白いエンタメもあるから人が集まってきたということでもあります。
あれ、でもこれって東京一極集中が止まらないのと似ていませんか? 東京は地方都市よりもずっと仕事がたくさんあります。色んな人がいるので地方だと浮いてしまう人でも東京なら溶け込めます。そしてプロ野球だろうがミュージカルだろうが伝統芸能だろうが、何でも揃っています。(お金があれば)退屈することは絶対にないでしょう。
しかし、ここで重要なのは「東京には仕事と娯楽がある」という単純な話ではありません。もっと本質的なのは、人間が「世界の中心に接続していたい」という欲望を持っていることではないでしょうか。
古代ローマ市民にとって、ローマとは単なる大都市ではありませんでした。そこは「世界そのもの」でした。皇帝がいて、政治が動き、巨大建築が建ち、剣闘士が戦い、噂話が飛び交う。帝国の中心にいるという感覚は、そのまま「時代と接続している」という感覚でもあったのです。
これは令和の東京にもかなり当てはまります。
たとえば地方にいると、どうしても「何かが遠い」と感じることがあります。新しい店も、流行も、イベントも、最初に始まるのは東京。テレビもネットニュースも、暗黙の前提として東京を中心に構成されている。すると人は、「東京に行けば、自分も時代の流れの中に入れるのではないか」と考えるようになる。
もちろん、インターネットの発達によって地方と都市の情報格差は昔より縮まりました。しかしそれでも、人が東京へ集まり続けるのはなぜでしょうか。
私は、「情報」ではなく「空気」を求めているからだと思います。
たとえば、同じ野球観戦でも、地方の自宅で配信を見るのと、東京ドーム周辺の熱気を感じながら歩くのとではまるで違う。あるいは、美術展ひとつとっても、SNSの画像を見るだけではなく、実際に人々が集まり、ざわめき、感想を語っている場に身を置くことで、「自分もこの時代を生きている」という感覚が生まれる。
人間は案外、「参加している感覚」に飢えている生き物なのです。
だからこそ東京には、多少家賃が高くても、通勤が苦しくても、人が集まる。そこにいれば、自分が巨大な社会の回路につながっている気がするからです。逆に言えば、地方で孤独を感じやすい人ほど、この「接続感」を求めて都市へ向かう傾向があるのかもしれません。
ただし、ここには少し皮肉な面もあります。
古代ローマの「パンとサーカス」は、民衆を政治から遠ざける装置でもありました。食料と娯楽を与えておけば、不満は爆発しにくい。では現代はどうでしょうか。
終わりのない動画配信、SNS、ライブイベント、ショッピングモール、推し活。現代人は膨大な娯楽に囲まれています。しかしその一方で、「自分は何者なのか」「どこへ向かうのか」という問いは、むしろ強くなっているようにも見えます。
つまり、パンとサーカスは今も人を惹きつけている。けれどそれだけでは、人間は完全には満たされないのです。
古代ローマ市民にとって、ローマとは単なる大都市ではありませんでした。そこは「世界そのもの」でした。皇帝がいて、政治が動き、巨大建築が建ち、剣闘士が戦い、噂話が飛び交う。帝国の中心にいるという感覚は、そのまま「時代と接続している」という感覚でもあったのです。
これは令和の東京にもかなり当てはまります。
たとえば地方にいると、どうしても「何かが遠い」と感じることがあります。新しい店も、流行も、イベントも、最初に始まるのは東京。テレビもネットニュースも、暗黙の前提として東京を中心に構成されている。すると人は、「東京に行けば、自分も時代の流れの中に入れるのではないか」と考えるようになる。
もちろん、インターネットの発達によって地方と都市の情報格差は昔より縮まりました。しかしそれでも、人が東京へ集まり続けるのはなぜでしょうか。
私は、「情報」ではなく「空気」を求めているからだと思います。
たとえば、同じ野球観戦でも、地方の自宅で配信を見るのと、東京ドーム周辺の熱気を感じながら歩くのとではまるで違う。あるいは、美術展ひとつとっても、SNSの画像を見るだけではなく、実際に人々が集まり、ざわめき、感想を語っている場に身を置くことで、「自分もこの時代を生きている」という感覚が生まれる。
人間は案外、「参加している感覚」に飢えている生き物なのです。
だからこそ東京には、多少家賃が高くても、通勤が苦しくても、人が集まる。そこにいれば、自分が巨大な社会の回路につながっている気がするからです。逆に言えば、地方で孤独を感じやすい人ほど、この「接続感」を求めて都市へ向かう傾向があるのかもしれません。
ただし、ここには少し皮肉な面もあります。
古代ローマの「パンとサーカス」は、民衆を政治から遠ざける装置でもありました。食料と娯楽を与えておけば、不満は爆発しにくい。では現代はどうでしょうか。
終わりのない動画配信、SNS、ライブイベント、ショッピングモール、推し活。現代人は膨大な娯楽に囲まれています。しかしその一方で、「自分は何者なのか」「どこへ向かうのか」という問いは、むしろ強くなっているようにも見えます。
つまり、パンとサーカスは今も人を惹きつけている。けれどそれだけでは、人間は完全には満たされないのです。
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