昭和20年といえば敗戦の年にあたります。8月に戦争が終わっていますが、それ以前も、そしてそれ以後も国民の多くは厳しい生活を強いられました。
・・・のはずでした。
しかし一部では令和の私たちよりもはるかに豪華な食生活を謳歌していた人もいたようなのです。一体どこにそんな物資があったのか・・・。
戦前の代表的コメディアンであった古川ロッパ。彼は戦時中は軍関係者の慰問公演を行うことがたびたびありました。その時の手土産といったら・・・。
ベーコン、サイダー、紅茶、ビール、ウィスキー、カルピス、虎屋の羊羹、コニャック、白ワイン、煙草「金鵄」500本(すべて吸うのに何日かかるのか?)、きんつば、ビタミン剤、焼酎、砂糖の塊など。しかし大戦末期に慰問公演を見物する余裕が日本軍にあったのでしょうか。
グルメでもあった彼はもともと経済的に余裕があり、闇屋もそれを知って近づいてきました。というわけで昭和20年に彼が食べったのはフォアグラのパテ、オムレツ、牛肉のバター焼き、鶏鍋、蛤のフライ、とんかつ。サントリーの12年物のウイスキーもワインも飲んでいます。これ、現代の私たちよりも贅沢な気がします。
では、なぜそんなことが可能だったのでしょうか。
ひとつは、「物資がゼロになったわけではない」という点です。戦争末期の日本では確かに配給制度が崩壊寸前に陥っていました。しかし、軍、官僚、大企業、興行関係者、華族や資産家など、一部のルートには依然として物資が流れていました。とくに軍は巨大組織です。慰問公演に呼ばれる芸能人は、単なる「芸人」ではなく、兵士の士気を維持するための重要人物でもありました。前線の兵士には食糧すら足りない一方で、後方の司令部や海軍施設では比較的余裕のある食事が維持されていたケースもあります。
さらに大きいのが闇市・闇ルートの存在です。
昭和20年の日本では、公式には「存在しない」はずの物資が、非公式には大量に流通していました。砂糖、酒、煙草、肉、バター、缶詰。こうしたものは軍の横流し、倉庫からの流出、地方からの密輸などを通じて都市部へ集まってきます。そして現金を持っている人は、それを買うことができた。
つまり当時は、「金があっても物が買えない時代」であると同時に、「金さえあれば驚くほどの贅沢ができる時代」でもあったのです。
ここが現代人には少し想像しにくいところかもしれません。現代日本では、スーパーへ行けば基本的に誰でも同じ商品を買えます。しかし戦時下では、そもそも入手ルートが階級化していました。配給だけに頼る人は飢えますが、コネ、人脈、現金、交換物資を持つ人は生き延びる。いや、生き延びるどころか、かなり豪華な生活すらできてしまった。
もちろん、古川ロッパ自身もその矛盾をどこかで意識していたはずです。彼の日記には、食べ物への異様な執着と同時に、不安や虚無感のようなものも漂っています。空襲で街が焼け、人々が栄養失調になっていくなか、自分はフォアグラを食べ、ウイスキーを飲んでいる。その光景は、どこか現実感を失っています。
そして実際、昭和20年とはそういう時代でした。
「みんなが平等に貧しかった時代」ではなく、むしろ格差が極端に露出した時代。配給のおにぎり一個で生きる人がいる一方、銀座では闇酒場が営業し、芸能人や軍関係者が酒を酌み交わしていた。戦争という巨大な非常事態は、社会全体を均一化するどころか、むしろ持つ者と持たざる者をむき出しにしてしまったのです。
ひとつは、「物資がゼロになったわけではない」という点です。戦争末期の日本では確かに配給制度が崩壊寸前に陥っていました。しかし、軍、官僚、大企業、興行関係者、華族や資産家など、一部のルートには依然として物資が流れていました。とくに軍は巨大組織です。慰問公演に呼ばれる芸能人は、単なる「芸人」ではなく、兵士の士気を維持するための重要人物でもありました。前線の兵士には食糧すら足りない一方で、後方の司令部や海軍施設では比較的余裕のある食事が維持されていたケースもあります。
さらに大きいのが闇市・闇ルートの存在です。
昭和20年の日本では、公式には「存在しない」はずの物資が、非公式には大量に流通していました。砂糖、酒、煙草、肉、バター、缶詰。こうしたものは軍の横流し、倉庫からの流出、地方からの密輸などを通じて都市部へ集まってきます。そして現金を持っている人は、それを買うことができた。
つまり当時は、「金があっても物が買えない時代」であると同時に、「金さえあれば驚くほどの贅沢ができる時代」でもあったのです。
ここが現代人には少し想像しにくいところかもしれません。現代日本では、スーパーへ行けば基本的に誰でも同じ商品を買えます。しかし戦時下では、そもそも入手ルートが階級化していました。配給だけに頼る人は飢えますが、コネ、人脈、現金、交換物資を持つ人は生き延びる。いや、生き延びるどころか、かなり豪華な生活すらできてしまった。
もちろん、古川ロッパ自身もその矛盾をどこかで意識していたはずです。彼の日記には、食べ物への異様な執着と同時に、不安や虚無感のようなものも漂っています。空襲で街が焼け、人々が栄養失調になっていくなか、自分はフォアグラを食べ、ウイスキーを飲んでいる。その光景は、どこか現実感を失っています。
そして実際、昭和20年とはそういう時代でした。
「みんなが平等に貧しかった時代」ではなく、むしろ格差が極端に露出した時代。配給のおにぎり一個で生きる人がいる一方、銀座では闇酒場が営業し、芸能人や軍関係者が酒を酌み交わしていた。戦争という巨大な非常事態は、社会全体を均一化するどころか、むしろ持つ者と持たざる者をむき出しにしてしまったのです。
参考文献
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