一人で部屋の中にいる。これはこれでいいことです。本を読んだり、音楽を聴いたり、ヴァイオリンを練習したり、筋トレしたり、昼寝したり、映画を見たり。やれることはたくさんあります。しかも家にいるとお金を使わなくて済む。これもいいことです。
しかし。人間というのは不思議なもので、一人でずっと部屋の中にいると、特にそれが平日の昼だったりすると、なんだか回りから取り残されたような気になってしまい、なぜか焦りを感じてしまうこともあります。やれることはたくさんあるのに、なぜかやる気も湧いて来ません。人間ってほんとうに不思議なものですね。
けれど、よく考えてみると、この「焦り」は必ずしも現実そのものではなく、かなりの部分が「平日の昼間」という時間帯の持つ独特の空気に影響されているようにも思います。
朝の通勤ラッシュが終わり、街にはスーツ姿の人々が流れていきます。電車は一定のリズムで走り、オフィス街のカフェにはノートパソコンを開いた人が並んでいる。世の中全体が「いま働いています」「社会は動いています」という顔をしている時間帯です。その中で一人、静かな部屋にいると、自分だけがその流れから外れてしまったような気分になります。
もちろん、冷静に考えれば、そんなことはありません。
世の中には夜勤の人もいれば、シフト勤務の人もいる。フリーランスもいるし、休職中の人もいる。有給休暇を取っている人だっている。平日の昼に家にいる人間など、実際にはいくらでも存在しているのです。それなのに、「みんな前に進んでいるのに、自分だけ止まっている」という錯覚に襲われてしまいます。あれはほんとうに不思議な感覚です。
しかも厄介なのは、その焦りが必ずしも行動につながらないことです。
「何かしなければ」と思うほど、かえって身体が重くなる。本を読めばいいのにページが進まない。筋トレを始めればいいのに立ち上がれない。映画を見る気力すら湧かず・・・。休日の怠惰とは少し違う、妙に居心地の悪い停滞感があります。
けれど最近は、そういう時間にも、ある種の意味があるのではないかと思うようになりました。
人間は機械ではないので、常に前進し続けることはできません。むしろ、何も起きていないように見える時間の中で、少しずつ疲労を抜いたり、感情を整理したり、自分の輪郭を取り戻したりしているのかもしれません。
実際、一人で静かに過ごしていると、不思議と感覚が研ぎ澄まされる瞬間があります。ヴァイオリンの音のわずかな違いに気づいたり、本の一文が妙に深く刺さったり、窓の外の風の音がやけに心地よく感じられたりする。忙しく働いていた頃には見落としていたものが、ゆっくり浮かび上がってくるのです。
社会の中で動き続ける時間も大切ですが、こうして一人で部屋にいる時間にも、別の種類の価値があるのでしょう。
もちろん、孤独が行き過ぎれば人は苦しくなります。誰とも話さず、何の予定もなく、昼と夜の区別さえ曖昧になっていけば、心は少しずつ弱っていく。だからこそ、ときどき外へ出ることも必要です。コンビニまで歩くだけでもいいし、喫茶店でコーヒーを飲むだけでもいい。人間はたぶん、「完全な孤独」にも「完全な集団」にも耐えられない生き物なのだと思います。
結局のところ、人は「一人でいたい」と「誰かとつながっていたい」の間を、行ったり来たりしながら生きているのでしょう。静かな部屋の中で感じる焦りも、その揺れの一部なのかもしれません。
朝の通勤ラッシュが終わり、街にはスーツ姿の人々が流れていきます。電車は一定のリズムで走り、オフィス街のカフェにはノートパソコンを開いた人が並んでいる。世の中全体が「いま働いています」「社会は動いています」という顔をしている時間帯です。その中で一人、静かな部屋にいると、自分だけがその流れから外れてしまったような気分になります。
もちろん、冷静に考えれば、そんなことはありません。
世の中には夜勤の人もいれば、シフト勤務の人もいる。フリーランスもいるし、休職中の人もいる。有給休暇を取っている人だっている。平日の昼に家にいる人間など、実際にはいくらでも存在しているのです。それなのに、「みんな前に進んでいるのに、自分だけ止まっている」という錯覚に襲われてしまいます。あれはほんとうに不思議な感覚です。
しかも厄介なのは、その焦りが必ずしも行動につながらないことです。
「何かしなければ」と思うほど、かえって身体が重くなる。本を読めばいいのにページが進まない。筋トレを始めればいいのに立ち上がれない。映画を見る気力すら湧かず・・・。休日の怠惰とは少し違う、妙に居心地の悪い停滞感があります。
けれど最近は、そういう時間にも、ある種の意味があるのではないかと思うようになりました。
人間は機械ではないので、常に前進し続けることはできません。むしろ、何も起きていないように見える時間の中で、少しずつ疲労を抜いたり、感情を整理したり、自分の輪郭を取り戻したりしているのかもしれません。
実際、一人で静かに過ごしていると、不思議と感覚が研ぎ澄まされる瞬間があります。ヴァイオリンの音のわずかな違いに気づいたり、本の一文が妙に深く刺さったり、窓の外の風の音がやけに心地よく感じられたりする。忙しく働いていた頃には見落としていたものが、ゆっくり浮かび上がってくるのです。
社会の中で動き続ける時間も大切ですが、こうして一人で部屋にいる時間にも、別の種類の価値があるのでしょう。
もちろん、孤独が行き過ぎれば人は苦しくなります。誰とも話さず、何の予定もなく、昼と夜の区別さえ曖昧になっていけば、心は少しずつ弱っていく。だからこそ、ときどき外へ出ることも必要です。コンビニまで歩くだけでもいいし、喫茶店でコーヒーを飲むだけでもいい。人間はたぶん、「完全な孤独」にも「完全な集団」にも耐えられない生き物なのだと思います。
結局のところ、人は「一人でいたい」と「誰かとつながっていたい」の間を、行ったり来たりしながら生きているのでしょう。静かな部屋の中で感じる焦りも、その揺れの一部なのかもしれません。

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