SOMPO美術館で開催中の「ウジェーヌ・ブーダン展 ――瞬間の美学、光の探求」。国内では30年ぶりの回顧展だそうです。次にまた回顧展をするのは30年後なの? と想像してちょっと恐ろしくなりました。

そんな怖い想像はさておき、ブーダンです。そこまで有名ではありませんが、空や雲、海など「青」や「白」の表現に長けた19世紀フランスの画家であり、外光派の一人として印象派に影響を与えています。 同時代人のボードレールやコローから、「空の王者」としての賛辞を受けていますから、当時の彼の名声がいかほどのものであったか想像がつきますね。

今回の展覧会は100枚以上ある展示作品のほぼすべてがブーダンによるもの。そしてその多くが海岸、帆船、港などを描いており、それぞれが一つの詩のように儚い情緒を称えています。音楽に喩えるなら、メンデルスゾーンのような・・・?

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そして興味深いのは、ブーダンの絵が決して「劇的」ではないことです。嵐が海を裂くわけでもなく、歴史的大事件が描かれるわけでもない。ただ海辺に雲が流れ、人々が散歩し、帆船が静かに停泊している。にもかかわらず、なぜか長く見入ってしまうのです。これはおそらく、彼が描いていたのが「風景」そのものではなく、その瞬間の空気だったからでしょう。

会場を歩いていると、ブーダンが執拗なまでに空を観察していたことがよくわかります。展示では「海景」「空」「人物」「建築」など八つの切り口から作品が紹介されていますが、とくに「空の習作」には驚かされました。雲の厚み、湿度、夕方の鈍い光・・・。そうした捉えがたいものを、彼は極めて軽やかな筆致で留めています。まるで「今日はこういう空だった」という気象観測日誌のようでもありました。

若き日のモネに戸外制作を勧め、「外へ出て描け」と導いた存在として、ブーダンはしばしば「印象派の前史」として語られます。しかし今回の展覧会を見ていると、むしろ「印象派」という巨大な物語に吸収されてしまった画家なのではないか、という気もしてきます。モネのような革命家ではない。けれど、自然の移ろいを愛し、それを誠実に掬い取ろうとした人でした。

だからこそ、作品には不思議な静けさがあります。派手さは薄い。しかし、絵の前に立っていると、潮風や雲の流れまで感じられる。美術館の白い壁の中にいるはずなのに、ノルマンディーの海岸へ一瞬だけ運ばれるのです。

今回の回顧展は、日本では約30年ぶりとのこと。もちろん次が本当に30年後になるとは限りませんが、「次は自分はいくつになっているのだろう」と考えてしまう気持ちは我ながらよくわかります。むしろ年齢を重ねてから見たら、ブーダンの絵はもっと深く沁みるのかもしれません。若い頃には「地味だな」で終わってしまう景色が、ある時期を境に、急に胸へ入り込んでくることがありますから。

少なくとも今回感じたのは、ブーダンの絵には「人生の大事件」は描かれていないけれど、「人生そのもの」は描かれている、ということでした。空は流れ、光は変わり、人は海辺を歩き去っていく。その一瞬を留めようとした画家がいた。そして150年以上経った東京で、私たちはその空を見上げている。そう思うと、この展覧会そのものが、貴重なめぐり合わせであると思えてくるのでした。