2026年5月9日(土)14時よりサントリーホールで開催された岡山フィルハーモニック管弦楽団の東京特別公演。岡山県出身である私も早々とチケットを確保し会場へと足を急いだのでした。

当日のプログラムはラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』『交響曲第2番』。指揮は尾高忠明さん、ピアノ独奏は中桐望さん。1992年に岡山県初のプロオーケストラとして設立されたこの楽団がとうとうサントリーホールの舞台に立つ日が来たのでした。

果たせるかな、充実した響きがサントリーホールに満ちていくのを実感し、この日を無事に迎えることができて良かったという思いに浸ることができました。
『ピアノ協奏曲第2番』における開始前の厳かな沈黙と、その静けさを鐘の音で満たそうとするかのように始まるピアノ。剛毅でもあり、しかしどことなく中性的な響きのある中桐望さんのピアノの音色がオーケストラの上に屹立し確固とした存在感を示していました。リリシズムあふれる第2楽章を経て第3楽章へ至ると、整然としたオーケストラの、憧れに満ちた歩みとともにピアノが力強く全曲を締めくくると会場は大きな拍手に湧きました。

前半のアンコールはやはりラフマニノフの「ヴォカリーズ」。やはりこちらも力感に溢れていた演奏でしたが、そもそも私自身がホールの前方寄りの座席だったこと、ソリストは普通、ホール最後列まで音が届くことを意識して演奏することを考慮すると、「力感に溢れていた」とは違った意図で演奏していたのかもしれませんし、また私以外のエリアに座っていた方は別の印象を持ったことでしょう。

休憩を挟んで『交響曲第2番』。こちらには驚かされました。なにしろ1時間あまりの大曲のすべての瞬間において弦楽器群がむせび泣くように歌うのです。中低音域、とくにヴィオラから発せられた、流麗ながらも曲の随所に現れる様々な感情のすべてを、あえてそこに留まることなく(いや、留まることができずに)すべてを押し流しながら進んでいくカンタービレ。この弦楽器の「歌」を何に喩えれば良いでしょうか。流麗といってもカラヤンのレガートとか推進力に溢れたショルティではない。ワルターとかバルビローリのような歌心と言えば少しは想像できるでしょうか。ちょっと古い喩えですが。

アンコールはエルガーの『エニグマ変奏曲』より「ニムロッド」。ここに来て改めて思い当たります。この演奏会は本来ならば秋山和慶さんが指揮するはずだったこと、それが叶わなかったこと、それでもマエストロが託した思いを胸に今日この日を迎えたことを。それを思えば、「ニムロッド」が楽団員の心が一つになった、声涙共に下る名演であったことは書くまでもないでしょう。私自身、これまで東京で暮らすなかで「上手いオーケストラ」というのは何度も聴いてきました。しかしそれだけでは十分ではなく、指揮者を中心としてすべての奏者の思いが同じ方向を向いていなければ、人の心を打つ「何か」は生み出されないのだと、それが「名演」と「上手な演奏」を隔てる、めったに越えることができない一線なのだと思い知らされました。(正直、せめてこの「ニムロッド」だけでも後日CD化されないでしょうか?)

岡山フィルハーモニックの東京公演が今後も予定されているのかどうかはわかりませんが、ぜひとも定期的に東京でも演奏会を行ってほしいと強く思いました。