2026年4月1日から自転車利用に関する規則の運用が厳格化されています。これにより青切符を切られやすくなる可能性が指摘されていました。東京の場合、自転車が走るゾーンは車道の上にブルーの矢印で明確になっているのでわりとわかりやすいです。しかも一部エリアでは(ほんとうにごく一部なのだが)自転車が走るゾーンがゴム製の柱(?)のようなもので区切られていてかなり安心感があります。

しかし自転車は車道を走るものという決まりにあまりにこだわると私みたいな恐怖体験をすることになります。
あるとき私は自転車を走らせていて、「そうだ、この辺りは『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の聖地の東京ビッグサイトの近くやんけ。いっそ自転車で行ったれ」と思い、お台場方面に向かいました。実際に行ってみると、東京ビッグサイトの近くは倉庫街になっていてトラックとかが結構走るエリアなのです。

そして私が正直に車道を走っていて差し掛かったのはこんな道でした。

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これは東雲駅近くの新末広橋という橋。左側に歩道がありますが、車道を走っていたら途中から柵が連なっていて歩道に入れなくなり、仕方ないのでマジの車道しか走れなくなりました。車に轢かれたら一発で大怪我だな・・・、ラブライブのせいで◯ぬんかな、と思うと腕が震えました。幸いにしてその日は祝日で交通量が少なく、車も私にかなり間隔を空けて追い抜いていったので安全に橋をわたり切ることができました・・・。そして「ここが虹ヶ咲学園か」とかしょうもないことを思いながら東京ビッグサイトを見物したあと、せっかくここまで来たのだからとフジテレビ本社とか自由の女神像とかを自転車で見物して帰宅しました。

さて橋を渡り終えて感じたのは、「ルールを守ること」と「安全であること」は必ずしも一致しない、という当たり前だけれど見落としがちな事実でした。確かに自転車は軽車両であり、原則として車道通行が求められています。しかし現実の道路環境は、必ずしも自転車にとって合理的に設計されているわけではありません。特に臨海部のように大型車両が頻繁に行き交うエリアでは、その原則がかえって恐怖を伴うものになることがあります。

新末広橋のような構造はその典型例です。途中から歩道に退避できない設計は、自転車利用者にとって「選択肢の剥奪」を意味します(いや、そういう車道がこれから始まるんだと予測できないで車道を走り続けた自分がアホなだけだが)。結果として、「危険だと感じても逃げ場がない」という心理的圧迫が生じるのです。これは単なる気の持ちようの問題ではなく、ヒューマンエラーや判断ミスを誘発するリスク要因にもなり得ます。

一方で、行政側も何もしていないわけではありません。ブルーの矢羽根や自転車レーンの整備は確実に進んでおり、一部では物理的に分離された安全な空間も整備されつつあります。ただ、それがネットワークとして連続していないため、「ここまでは安全、ここからは自己責任」という断絶が生まれてしまっている印象を受けます。

というわけでルールを守ることは大前提としても、「状況に応じて自分の身を守る判断をする」ことも同じくらい重要だということです。たとえば交通量が明らかに多い場所では、無理に車道にこだわらず、一時的に降りて歩道を押して通行する。あるいは事前にルートを調べて、危険な橋や幹線道路を避ける。そうした“現実的なリスク回避”を織り込むことで、ようやく安全が担保されるのだと思います。

正直に言えば、あの橋の上で感じた恐怖は今でもはっきり覚えています。ですが同時に、「自転車で都市を移動する」という行為の難しさと面白さを実感した瞬間でもありました。安全と利便性、そのバランスをどう取るか。これは個人だけでなく、社会全体で考えていくべきテーマなのかもしれません。