東京藝術大学大学美術館で開催中の「NHK日曜美術館50年展」。50年にわたって続いているNHKの「日曜美術館」という教養番組で触れた作品を展示しているというもの。第1回から見続けている人はさすがにいないだろうというほどの長寿番組です。それゆえ、この展覧会も日本の作品だったり西洋の作品だったりと様々なもの。これを日本全国の美術館から借りてきて展示しているのですから、実現に至るまでの苦労がしのばれます。

冒頭、ピカソやセザンヌの作品で始まります。ピカソは「黄色い背景の女」、「ギターのある静物」。セザンヌは「水浴」、「草刈り人」。どちらも巨匠の筆であるということが一目で伺われ、期待が高まります。そしてムンク、ルオーと来てマグリット、ジャコメッティまで展示。一方で日本人作品としてはたとえば岸田劉生の「自画像」「麗子肖像」などがあり、美しい饗宴であると言えるでしょう。

とりわけ印象的なのは、本展が単なる「名品展」にとどまらず、「語り」とともに作品を再提示している点です。展示は全体で5章構成となっており、「語り継ぐ美」「日本美の再発見」「工芸」「災いと美」「作家の生き様」といったテーマごとに編まれています。それぞれに共通しているのは、作品それ自体だけでなく、それをどう見てきたかという「視点の歴史」です。

たとえば第1章では、小説家や音楽家、さらには現代のアーティストたちが敬愛する作品について語った言葉が、作品と並置されています。岡本太郎は案の定ピカソを神棚から下ろせ、と絶叫(?)していました。いかにも言いそうなことを言っています。美術館においては通常、解説文はあくまで補助的なものに過ぎません。しかしここでは、むしろ言葉そのものが主役のひとつとして立ち現れています。鑑賞者は「作品を見る」というよりも、「誰かの見方を追体験する」という独特の体験を得ることになります。これはテレビ番組としての「日曜美術館」が長年培ってきた形式を、そのまま空間に移し替えたものと言えるでしょう。

また、第2章以降で展開される日本美術のセクションも見逃せません。縄文土器から伊藤若冲、葛飾北斎に至るまで、日本美術がどのように再評価されてきたかが示されています。興味深いのは、それが単なる年代順ではなく、「再発見」という観点で構成されている点です。岡本太郎による縄文の発見や、戦後における江戸絵画の再評価など、美術史そのものが更新されてきたプロセスが浮かび上がります。

さらに本展は、絵画や彫刻にとどまらず、工芸や現代美術へと視野を広げています。人間国宝の技から現代作家の実験的な表現までが並置されることで、「美術とは何か」という問いが自然と立ち上がってきます。工芸が決して周縁ではなく、日本の美の核心に位置していることを改めて実感させられる構成です。

そして終盤、「作家の生き様」に焦点を当てた章では、アトリエや制作の現場にまで視線が及びます。完成された作品の背後にある時間や葛藤、試行錯誤といったものが垣間見え、鑑賞者は作品をより人間的な営みとして受け取ることになります。ここに至って、本展が単なる回顧展ではなく、「美術をどう生きるか」という問いを投げかける場であることに気づかされます。

120点を超える作品が一堂に会するという物量的な充実もさることながら、半世紀にわたる番組の蓄積を背景に、「見る」「語る」「伝える」という営みそのものを可視化した点にこそ、この展覧会の真価があります。また、ある部屋では有名な「ゲルニカ」が大型ディスプレイで映し出され、細部を見ることができます。余談ながらゲルニカを説明する映像を見ながら「ゲルニカから逃げるか?」というしょうもないギャグを思いついてしまいました。一応書き残しておきます。

美術館を後にするとき、個々の作品の記憶以上に、「誰かが何かを美しいと思った瞬間」が心に残ります。それはおそらく、「日曜美術館」という番組が50年にわたって伝えてきたものと同じであり、本展はそのエッセンスを、極めて濃密なかたちで提示していると言えるでしょう。