距離とか重さとかスピード。これは機械で測ることができます。最近フルマラソンの世界記録が更新されてとうとう2時間を切るというものすごいタイムが出ました。これもちゃんと機械で測ったから確認できたわけですね。
一方で測ることができないものもあります。「幸福」です。人の幸、不幸は他人が決めるものではありません。自分が決めるものです。体重計や血圧計で測れるものではありません。東レ(株)取締役を経て、経営者として数々の成果を上げてきた佐々木常夫さんは、そのようにある時NHKの番組で述べておられました。40歳のとき奥様がうつ病にかかり、そのケアと仕事の両立に苦心された佐々木さん。当時のことを振り返って、「なんでもない日常が、一番幸せだった」と述懐していました。
なんでもない日常というと、普段なら「ああ退屈だなあ」で終わってしまう一コマのはず。ところがそういう瞬間が一番幸せだったというのです。その心境に至るまでにどれほどの逆境を乗り越えて来たのか、その苦労がたった一言から察せられました。
この言葉は、一見するとありふれていて、どこかで聞いたことがあるようにも思えます。しかし、実際にその境地に至ることは簡単ではありません。なぜなら、私たちは往々にして「特別な出来事」や「目に見える成果」によって幸福を測ろうとするからです。昇進、年収の増加、資格取得、自己ベスト更新――そうしたものは確かに分かりやすく、他者とも比較しやすい指標です。しかしそれらは同時に、終わりのない競争や不安も生み出します。
佐々木常夫さんの言葉が重みを持つのは、まさにその「測れないもの」に価値を見出した点にあります。仕事で成果を出し続ける一方で、家庭では深刻な困難に直面する。その両方を背負いながら生きる中で、日常の何気ない瞬間、例えば、家族が穏やかに過ごしている時間や、特別な出来事のない一日が、かけがえのないものとして立ち上がってきたのでしょう。
ここで重要なのは、「なんでもない日常」が突然価値を持つようになったのではなく、本来そこにあった価値に気づいた、という点です。私たちは普段、それを見過ごしています。むしろ、退屈だとすら感じてしまう。しかし、ひとたびそれが失われたり、危機にさらされたりしたとき、初めてその尊さに気づくのです。
では、どうすればその価値に気づけるのでしょうか。逆境を経験しなければ分からない、というのではあまりにも受動的ですし、できれば避けたいところです。一つのヒントは、「測れないものに意識を向ける」ことにあります。たとえば、今日一日の中で安心できた瞬間や、心が少し軽くなった出来事を思い返してみる。それは数字にはならず、他人と比較することもできませんが、確かに自分の内側に残る感覚です。
もう一つは、「欠けていないこと」に目を向ける視点です。私たちはつい、足りないものや達成していない目標にばかり目が向きがちです。しかし、問題が起きていない状態、平穏であること自体が、実は非常に希少で不確実なものです。健康であること、人間関係が大きく崩れていないこと、日々の生活が回っていること、これらは当たり前のようでいて、決して保証されているわけではありません。
フルマラソンのタイムのように、数値化できる世界は確かに魅力的です。努力が結果として可視化されるからです。しかし、人生の満足度や幸福感は、そうした指標とは別の次元にあります。むしろ、数値で測れないからこそ、自分自身で意味づけをする余地があり、その自由さこそが本質なのかもしれません。
「なんでもない日常が一番幸せだった」という言葉は、過去を振り返っての実感であると同時に、今この瞬間への問いかけでもあります。今、自分が過ごしているこの時間は、未来の自分から見たとき、どのように映るのか。そう考えたとき、退屈に思えた一日が、少しだけ違った輪郭を帯びてくるのではないでしょうか。
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