『源氏物語』の結末までたどり着いたものの、今ひとつ釈然としません。なにしろストーリーとしてきれいに終わっているわけでもなくカタルシスが得られるわけでもないからです。
主人公光源氏は「雲隠」の帖でいなくなり(前の帖で出家することがほのめかされている)、その後は薫とか浮舟といった次世代の人たちが宇治を舞台にいろいろ人間関係を結んでいきます。しかし浮舟は入水自殺を遂げようとして一命をとりとめ、その後は出家して、たどたどしい手つきながらも数珠を繰り、薫たちとの関わりを一切断ち切ってしまいます。そこで物語は終わり。
一説によると藤原道長の依頼で書き始めた『源氏物語』も、一旦は光源氏の退場で一区切りとし、そこから先の「宇治十帖」はどうやら自分のために書いたとか。もちろん真相は知る由もありません。
この「終わらなさ」こそが、『源氏物語』を特異な作品たらしめているのではないかと、読み終えてからようやく思い至りました。私たちは物語に対して、どこかで「回収」や「決着」を期待しています。伏線は回収され、人物の感情は整理され、読後にはある種の納得や解放感が残る・・・、そうした形式に慣れきっているからこそ、宇治十帖の結末は拍子抜けのようにも、あるいは放り出されたようにも感じられるのでしょう。
しかしよく考えてみると、浮舟の選択は「物語的な解決」を拒絶する行為そのものです。薫か匂宮か、どちらかを選び取ることで関係性を確定させることもできたはずです。あるいは死を選ぶことで、悲劇としての美しい終止符を打つこともできた。しかし彼女はそのどちらでもなく、「生き延びた上で関係を断つ」という、極めて中途半端で、それゆえに現実的な道を選びます。そこにはカタルシスも劇的な救済もありません。ただ、人との関わりに疲れ、そこから距離を取ろうとする一人の人間の姿があるだけです。
この視点に立つと、光源氏の不在もまた象徴的に見えてきます。かつて物語の中心に君臨し、あらゆる人間関係を引き寄せていた存在は、「雲隠」という形で語られないまま退場します。その後に続く宇治の物語には、もはや世界を統べるような中心人物はいません。薫もまた思索的で優柔不断な人物であり、決して状況を決定づける力を持たない。つまり物語は、強い中心を失い、収束していく力を欠いたまま、拡散していくのです。
これは単なる構成上の問題ではなく、人間の生のあり方そのものを映しているようにも思えます。人生には明確な結末や総括が与えられるとは限らず、多くの場合、関係は曖昧なまま途切れ、感情は整理されないまま積み残されていきます。『源氏物語』の終わり方は、その不完全さをあえて引き受けたものなのではないでしょうか。
もし宇治十帖が紫式部自身のために書かれたのだとすれば、それは栄華や恋愛の絢爛たる物語を書き尽くしたあとに、なお残る「人はどう生き、どう離れていくのか」という問いへの応答だったのかもしれません。読者に優しい結末を与えるのではなく、むしろ読者の内面に問いを残す。その意味で、『源氏物語』は終わったのではなく、読む者の中で続いていく物語なのだと思います。
しかしよく考えてみると、浮舟の選択は「物語的な解決」を拒絶する行為そのものです。薫か匂宮か、どちらかを選び取ることで関係性を確定させることもできたはずです。あるいは死を選ぶことで、悲劇としての美しい終止符を打つこともできた。しかし彼女はそのどちらでもなく、「生き延びた上で関係を断つ」という、極めて中途半端で、それゆえに現実的な道を選びます。そこにはカタルシスも劇的な救済もありません。ただ、人との関わりに疲れ、そこから距離を取ろうとする一人の人間の姿があるだけです。
この視点に立つと、光源氏の不在もまた象徴的に見えてきます。かつて物語の中心に君臨し、あらゆる人間関係を引き寄せていた存在は、「雲隠」という形で語られないまま退場します。その後に続く宇治の物語には、もはや世界を統べるような中心人物はいません。薫もまた思索的で優柔不断な人物であり、決して状況を決定づける力を持たない。つまり物語は、強い中心を失い、収束していく力を欠いたまま、拡散していくのです。
これは単なる構成上の問題ではなく、人間の生のあり方そのものを映しているようにも思えます。人生には明確な結末や総括が与えられるとは限らず、多くの場合、関係は曖昧なまま途切れ、感情は整理されないまま積み残されていきます。『源氏物語』の終わり方は、その不完全さをあえて引き受けたものなのではないでしょうか。
もし宇治十帖が紫式部自身のために書かれたのだとすれば、それは栄華や恋愛の絢爛たる物語を書き尽くしたあとに、なお残る「人はどう生き、どう離れていくのか」という問いへの応答だったのかもしれません。読者に優しい結末を与えるのではなく、むしろ読者の内面に問いを残す。その意味で、『源氏物語』は終わったのではなく、読む者の中で続いていく物語なのだと思います。
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