ここ数年、日本経済はインフレ基調です。デフレ脱却、と政府がひところ連呼していましたがいつの間にか言わなくなりました。ということはつまり物価が上昇しているということなのでしょう。それはお米であったりガソリンであったり不動産であったり、耐久消費財だったりといろいろな財やサービスの価格が上昇していることでも明らかです。
これについて、私は「とうとうここまで来たか・・・」という思いをしました。
あるとき100円ショップでプリンターの紙を購入したのです。以前は100円で100枚という感覚でした。ところが2026年4月時点で、100円(実質110円なのだが)で60枚! かつてに比べると4割も枚数が減っているのです。そんなに減るのか!! そしてこれは物価が上がったのか、日本円の価値が下がったのかどっちだろうとも思ったのでした。日本円の価値が下がっている、これは間違いないでしょう。1ドル=100円だと思っていたらどんどん円安が進み、1ドル160円目前です。1ユーロも130円くらいだと思っていたら190円くらいになっています。極めつけはスイスフランで、1スイスフラン=100円かなと思っていたらもはや200円の世界。
こうなってくると1ドルの商品を輸入するためには昔は100円で済んでいたのが今では160円払わなければならないということになります。しかし私たちの賃金はこれに見合うほどには上昇していないというのが実態であり、なおかつ消費税率引き上げや社会保険料負担も増しています。要するに貧乏になったってことですね。
こうした変化は、単なる「値上げが続いている」というレベルの話ではなく、生活の前提そのものが静かに書き換えられていることを意味しているように思います。かつては「安くて当たり前」だったものが、じわじわと手の届きにくい存在へと変わっていく。そのスピードは緩やかであるがゆえに気づきにくいのですが、ふとした瞬間に「こんなに変わったのか」と実感させられるのです。
とりわけ日本の場合、この変化をより深刻にしているのは、長らく続いたデフレの記憶でしょう。企業は値上げに慎重で、賃金も上がらないことが常態化していました。その結果、物価が上がる局面に入っても、賃上げが追いつかないという歪な構造が生まれてしまっています。本来であれば、物価上昇と賃金上昇はある程度連動するものですが、そこが切り離されているため、家計にとっては単純な「負担増」としてのしかかってくるのです。
さらに考えるべきは、この状況が一時的なものなのか、それとも構造的な変化なのかという点です。エネルギー価格や為替の影響といった外的要因だけで説明できるのであれば、いずれ落ち着く可能性もあります。しかし、人口減少や労働力不足、グローバルなインフレ圧力といった要素を考えると、むしろ「これが新しい常態」になっていく可能性の方が高いのではないかとも感じます。
だとすれば、私たちの側も発想を変えざるを得ません。単に節約をする、安いものを探すという対応だけでは限界があります。収入をどう増やすか、あるいは支出の質をどう見直すかといった、より本質的な家計戦略が求められる局面に入っているのでしょう。
100円ショップのコピー用紙が60枚になった、という一見ささやかな出来事は、実はこうした大きな変化の象徴なのかもしれません。気づいたときにはもう後戻りできない。その現実を直視した上で、これからの時代をどう生きるのか。私たちはいま、その問いを突きつけられているのだと思います。
とりわけ日本の場合、この変化をより深刻にしているのは、長らく続いたデフレの記憶でしょう。企業は値上げに慎重で、賃金も上がらないことが常態化していました。その結果、物価が上がる局面に入っても、賃上げが追いつかないという歪な構造が生まれてしまっています。本来であれば、物価上昇と賃金上昇はある程度連動するものですが、そこが切り離されているため、家計にとっては単純な「負担増」としてのしかかってくるのです。
さらに考えるべきは、この状況が一時的なものなのか、それとも構造的な変化なのかという点です。エネルギー価格や為替の影響といった外的要因だけで説明できるのであれば、いずれ落ち着く可能性もあります。しかし、人口減少や労働力不足、グローバルなインフレ圧力といった要素を考えると、むしろ「これが新しい常態」になっていく可能性の方が高いのではないかとも感じます。
だとすれば、私たちの側も発想を変えざるを得ません。単に節約をする、安いものを探すという対応だけでは限界があります。収入をどう増やすか、あるいは支出の質をどう見直すかといった、より本質的な家計戦略が求められる局面に入っているのでしょう。
100円ショップのコピー用紙が60枚になった、という一見ささやかな出来事は、実はこうした大きな変化の象徴なのかもしれません。気づいたときにはもう後戻りできない。その現実を直視した上で、これからの時代をどう生きるのか。私たちはいま、その問いを突きつけられているのだと思います。
コメント