春の日差しに包まれて、川のほとりを歩く。ああいい景色だなあ。そう思いながら歩くと幸福感に包まれます。人によっては花粉が辛くてこの時期は外に出たくないという人もいますが。

私の場合はどちらも好きです。旅先で橋の上に立って川の流れていくはるか彼方を眺めると、「たぶんもうこの景色を見ることはないのだろうな」という気持ちになり、今を生きているこの一瞬が尊く感じられ、幸福感に包まれます。このとき、私には過去も未来もないのです。ただ「今」があるだけなのです・・・。

他方で用事がないときは一日中家にいるときもあります。部屋からまったく出ないので郵便物が来ているかどうかも分からず、そもそも今日は何歩歩いたんだろう? とすら思うことも・・・。でも部屋に一日中いるのって悪いことでしょうか? 私にはそうは思えません。

何しろ家賃を払っている人は、外出していることは「お金を払っているのにその物件を利用していない」状態にあるわけですから勿体ない(これはちょっと屁理屈)。それに、外出して電車とかバスに乗ると1日の交通費は1,000円くらいかかったりします。でもそのお金があれば例えばNHKオンデマンドに1ヶ月契約してドキュメンタリー番組を見まくったほうがよほどためになるはずです。なにしろNHKのコンテンツってものすごく濃密で、見ているだけでものすごく勉強になるのですから・・・。

世の中には、「外に出てこそ価値がある」「動いていない時間は無駄だ」という空気があります。予定が詰まっている人ほど充実しているように見えるし、歩いた歩数や訪れた場所の数が、そのまま一日の濃さを表しているように感じてしまうこともあるでしょう。けれど、それはあくまで一つの尺度にすぎません。

静かな部屋の中で過ごす時間にも、外の世界とは別の豊かさがあります。誰にも急かされず、誰とも比較されず、自分の内側にゆっくりと意識を向けることができる。読書に没頭したり、映像作品に心を動かされたり、あるいはただぼんやりと考えごとをしたり。そのどれもが、外では得がたい種類の経験です。

むしろ、外に出ているときの「今、この瞬間の尊さ」を感じられるのは、こうした内省の時間があるからではないでしょうか。川の流れを見つめながら感じるあの静かな幸福感は、日常の中で自分と向き合っているからこそ、ふと立ち上がってくるもののように思えます。

外に出る日と、部屋にこもる日。そのどちらか一方だけが正しいわけではありません。呼吸のように、内と外を行き来すること自体が、自然なリズムなのかもしれません。

だから、もし一日中部屋にいたとしても、それを責める必要はありません。その時間が自分にとって穏やかで、満ち足りたものであるなら、それは立派に「生きている時間」です。誰かの基準ではなく、自分の感覚で一日の価値を決めていい。

そしてまた、ふと外に出たくなったときには、あの春の日差しの中へ歩き出せばいいのです。

夏は・・・、ムリに外出するのはやめましょう。