知らない間に技術というのはどんどん進歩していきます。とくにAIはここ数年で驚くほど進化しました。ChatGPTもいつの間にか的はずれなことを言わなくなり、知りたいことに的確に回答してくれるようになりました。

AI英会話もそういう進歩の果実とでも言いましょうか。あるテーマについてディスカッションをするとか発音コーチとか文法を教わるとか、10年前なら人間がやらないと駄目だったことをAIが代替してくれるようになりました。今日も私は「この人はファンタジー小説が大好きで、こればかり推してきます。あなたはこれにやんわりと反論しながら議論を深めてください」のようなテーマでAIと英会話しました。

・・・もちろんAIのほうが圧倒的に英語がうまいです。私の存在意義って何、と一瞬疑問に思うほどでした。そしてフィードバックも優れています。こういうのが無料で使える(もちろん機能制限はあるのだが)時代が来るなんて、私はまったく予想していませんでした。でもそういう時代が来てしまいました。

AIがこれほどまでに高性能になり、人間が担ってきた役割を次々と肩代わりしていくとき、私たちは何を拠り所にすればよいのでしょうか。英語学習ひとつとっても、「正しい表現」「自然な言い回し」「論理的な構成」といった要素は、すでにAIのほうが安定して提供できる領域に入りつつあります。

では、人間が英語を学ぶ意味はどこにあるのか。私はそれが「不完全さ」にあるのではないかと思うのです。

AIは確かに正確です。しかし、間違えません。迷いません。文脈を読み違えることも少ない。一方で人間は、言い淀み、誤解し、ときに的外れな返答をしてしまいます。それでも、そのやり取りの中でしか生まれないニュアンスや関係性があります。英語という言語は単なる情報伝達のツールではなく、人と人との距離を測る装置でもあります。多少拙くても、その人なりの言葉で紡がれた表現には、やはり固有の価値が宿るのです。

また、AIとの英会話は極めて合理的であるがゆえに、どこか「安全すぎる」とも感じます。相手は常に協力的で、こちらの意図を汲み取り、会話が破綻しないように導いてくれる。しかし現実のコミュニケーションはそうではありません。相手が何を考えているのかわからない、言葉が通じないもどかしさ、沈黙の気まずさ。そうした要素も含めて、コミュニケーションなのです。悪意をもってコミュニケーションしてくる奴もいるので、私は人間が嫌いですが。

ともあれ、AI英会話は「代替」ではなく「補助」として捉えるべきなのかもしれません。発音や文法、語彙の習得といった基礎的な部分はAIに任せ、その上で人間同士のやり取りに挑戦していく。いわば、AIはトレーニングジムのような存在であり、実際の試合はあくまで現実世界で行われる、という位置づけです。

とはいえ、この「ジム」が非常に優秀であることは間違いありません。これまで英会話スクールに通う時間や費用がネックだった人にとって、AIは学習機会を大きく広げる存在です。時間も場所も選ばず、しかも自分のレベルや関心に合わせて会話を設計してくれる。ここまで個別最適化された学習環境は、かつて存在しませんでした。

結局のところ、AIの進化は「人間の価値を奪うもの」ではなく、「問い直すもの」なのだと思います。私たちは何ができるのか、何をしたいのか。そして、なぜそれをやるのか。AIがほとんどの「いわゆる正解」を提示できる時代において、人間に残されるのは「問い」の部分なのかもしれません。

英語を話す理由もまた同じです。正しく話すためではなく、誰かとつながるために話す。その原点を忘れない限り、AIがどれだけ進化しても、私たちの存在意義が揺らぐことはないのではないでしょうか。