いつかやめよう、やめようと思っていてもやめられない行動って誰にもあると思います。
私は外出先でのコーヒーがまさにそれでした。駅についた。深い意味はないけど缶コーヒー。目的地で用事を済ませた。よかった。だから深い意味はないけど缶コーヒー。
コンサートホールの休憩時間。あまり深い意味はないけどロビーでコーヒー500円。
正直言って、我ながら無駄だなあと思っていました。しかし何年もこんなことをやっていました。アホである。
業を煮やしてとうとう私はアマゾンでマイボトルを購入しました。1000円を切る価格で購入できました。そして外出前にコーヒーを自分で入れて持ち運ぶことにしました。
・・・結果、見事に外出先でコーヒーを買わなくなりました。たぶんそれだけで年間1万円くらい節約できることになると思います。あまりに効果がありすぎて、逆に今までなんでそれを放置したんだろうと自問自答するくらいです。
この変化は単なる節約以上の意味を持っていました。まず第一に、「なんとなく」でお金を使う機会が確実に減ったことです。これまでの自分は、特に理由もなくコーヒーを買うことで、小さな満足感を積み重ねていたつもりでした。しかし実際には、その満足は驚くほど薄く、気づけば習慣だけが残っていたのです。
マイボトルを持つようになってからは、「すでにコーヒーがある」という事実が、その無意識の消費にブレーキをかけてくれました。人間というのは不思議なもので、「ある」と分かっているものをわざわざ重ねて買おうとはしないものです。意志の力でやめたわけではなく、環境を少し変えただけで行動が変わった。この点は非常に示唆的でした。
さらに、副次的な効果として、外出前の時間の使い方も変わりました。コーヒーを淹れるというひと手間が増えたことで、朝の行動にわずかな「意識」が生まれたのです。ほんの数分ですが、自分で準備をするという行為は、その日のスタートを少し丁寧にしてくれます。これが意外と気分に効きます。
そして何より、「やめられない」と思っていた行動が、実はあっさり変えられるものだったという事実は、自分にとって小さくない発見でした。人はつい「自分はこういう性格だから仕方ない」と思いがちですが、多くの場合それは性格ではなく、単なる環境や仕組みの問題なのかもしれません。
今回の件で学んだのは、「やめる努力」よりも「やめやすい状況を作る」ことの重要性です。もし何か無駄だと感じている習慣があるなら、意志力に頼る前に、少しだけ環境を変えてみる。たとえば今回で言えば、1000円のマイボトルがその役割を果たしてくれました。
考えてみれば、年間1万円の節約というのは決して大きな額ではありません。しかし、その裏にある「無意識の支出をコントロールできた」という経験は、金額以上の価値があります。この成功体験を他の分野にも応用できれば、生活全体がもう少し引き締まるのではないか。そんな期待すら抱いています。
さて、次に手をつけるべき「なんとなくの出費」は何でしょう。少し楽しみになってきました。
マイボトルを持つようになってからは、「すでにコーヒーがある」という事実が、その無意識の消費にブレーキをかけてくれました。人間というのは不思議なもので、「ある」と分かっているものをわざわざ重ねて買おうとはしないものです。意志の力でやめたわけではなく、環境を少し変えただけで行動が変わった。この点は非常に示唆的でした。
さらに、副次的な効果として、外出前の時間の使い方も変わりました。コーヒーを淹れるというひと手間が増えたことで、朝の行動にわずかな「意識」が生まれたのです。ほんの数分ですが、自分で準備をするという行為は、その日のスタートを少し丁寧にしてくれます。これが意外と気分に効きます。
そして何より、「やめられない」と思っていた行動が、実はあっさり変えられるものだったという事実は、自分にとって小さくない発見でした。人はつい「自分はこういう性格だから仕方ない」と思いがちですが、多くの場合それは性格ではなく、単なる環境や仕組みの問題なのかもしれません。
今回の件で学んだのは、「やめる努力」よりも「やめやすい状況を作る」ことの重要性です。もし何か無駄だと感じている習慣があるなら、意志力に頼る前に、少しだけ環境を変えてみる。たとえば今回で言えば、1000円のマイボトルがその役割を果たしてくれました。
考えてみれば、年間1万円の節約というのは決して大きな額ではありません。しかし、その裏にある「無意識の支出をコントロールできた」という経験は、金額以上の価値があります。この成功体験を他の分野にも応用できれば、生活全体がもう少し引き締まるのではないか。そんな期待すら抱いています。
さて、次に手をつけるべき「なんとなくの出費」は何でしょう。少し楽しみになってきました。

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