もう8年近く経過するのだと思うと、年月の流れの速さに愕然となります。私がミュージカル「アメリ」を観るために天王洲銀河劇場に向ったのは2018年春のこと。私が(今も)いたく応援している渡辺麻友さんの姿を目に焼き付けるためでした。渡辺麻友さんは2年後に芸能界を引退し、その後いかなる報道もなされていないことから、本当にもう舞台上の彼女を見ることはないのでしょう。結果的に舞台観劇としては忘れられない思い出となりました。

あの時の光景を思い出すと、瞬間とは永遠であるということに思いを致さざるを得ません。

あの時の客席の空気は、今でも不思議なほど鮮明に思い出すことができます。開演前のざわめき、照明が落ちる直前の静寂、そして幕が上がった瞬間の、現実からほんの少し切り離されたような感覚。舞台というのは、数時間のあいだだけ存在する、極めて限定された世界です。しかしその濃度は、日常の何日分、あるいは何年分にも匹敵することがあります。

とりわけその日の私にとっては、何しろ渡辺麻友さん主演ミュージカルということもあって「観る」という行為を超えて、「刻みつける」という意識に近かったのだと思います。

結果として、その日の記憶は時間の経過に抗うように残り続けています。細部は曖昧になっているはずなのに、なぜか核の部分だけは色褪せない。これは記憶というよりも、むしろ体験が「固定化」されたものに近いのかもしれません。

考えてみれば、私たちの人生の大部分は流れ去っていきます。どれほど重要だと思っていた出来事であっても、数年も経てば輪郭はぼやけ、やがて断片的な印象へと変わっていくわけです。しかし、ごく稀に、その流れに抗うように残り続ける瞬間があります。それは決して長い時間ではなく、むしろ一瞬に近い。しかしその一瞬が、後の時間を支配するほどの重みを持つことがある。

「瞬間とは永遠である」という感覚は、そうした経験から生まれるのだと思います。永遠とは、時間が無限に続くことではなく、ある一点が時間の中で特別な密度を持ち続けることなのかもしれません。だからこそ、8年という歳月が経とうとも、あの日の光景はただの「過去」ではないのです。現在と地続きのものとして、ふとした拍子に立ち上がってくるのです。

そしてもう一つ思うのは、人は未来を完全に見通すことができないからこそ、そのような瞬間に出会えるのだということです。もしあのとき、2年後に彼女が引退することを知っていたら(不可能であるが)、もっと違う見方をしていたかもしれません。しかし実際には、未来は曖昧で、その曖昧さの中で私たちは選択をします。そしてその選択の結果として、思いがけず「永遠」と呼びたくなるような瞬間に立ち会う。

そう考えると、日々の選択の重みも少し変わって見えてきます。すべてが特別である必要はありませんが、何が後に残るかは事前には分からない。だからこそ、そのときどきの「少し気になる」「なんとなく行ってみたい」といった感覚を、軽んじすぎないほうがいいのかもしれません。

あの日、天王洲へ向かった自分の判断は、少なくとも今の私にとっては間違いなく正しかった。なぜなら、あの数時間が、こうして何年も後の自分の思考や感情に影響を与え続けているからです。

時間は確かに速く流れていきます。しかしその流れの中に、確かに留まり続けるものがある。そのことを知っているだけで、少しだけ安心できる気がします。
今年も渡辺麻友さんの誕生日となりました。健やかな1年でありますよう静かに祈りたいと思います。